2015年02月24日

死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?

「死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?」

死神

生きる意味を見失って悩み苦しみ、自殺まで考えてしまう人もいます。

なぜ悩むのか?

それは、生きるということがただ「生命を維持する」という意味でしかないと学んできたからかもしれませんね。学校で生物や化学の授業などをまじめに勉強していた優等生ほど悩んでしまうかもしれません。

「生きる」とは「息をする」が語源とも言われています。呼吸を止めたら死にます。

酸素を取り込み体内で化学反応を起こし、熱や電気エネルギーなどを作り出して運動したり、神経伝達物質を活性化して脳で思考したりします。

口から食物を取り込み、胃酸で溶かして腸で吸収し、筋肉や骨を作ります。

生命を維持するとはそういうことであり、化学的にはそんな考え方になるでしょう。

生物学的な考え方をすればもう一歩踏み込んで「生殖」が出てくるでしょう。そこまで考えると生きる意味が少しだけ見えてきます。次の世代へ命を受け継ぐこと。それが生きることだと分かってくるのです。

さらに動物学や社会学的な考え方まで広げれば、子孫繁栄のためには外敵から身を護ったりするために仲間同士で助け合ったりする必要があることがわかってくるでしょう。場合によっては自分の身を犠牲にして命を懸けて仲間を守ることもあります。

ここまで来てやっと、生きることが自分のためだけではないということに気付くことができるでしょう。

この世の生命は全てこの法則にしたがって生きているはずです。だから、悩む必要などないのです。

ところが、なぜ人は生きる意味を見失い、悩んでしまうのでしょう?

それは、人が高度な文明と知性を身に着けてしまったがゆえに、本能的な生命としての役割を見失ってしまうほどの「欲望」に取り憑かれてしまったからではないでしょうか。エデンの園で禁断の果実を食べてしまったイブとアダムのように。

恋人

人間は他の動物と違って生殖活動によって種を維持するだけのために生きているわけではありません。様々な社会的な営みがあり、子育てが終わると人それぞれの生き甲斐を見出してゆくことになります。独身で生涯を過ごす人もいます。

そんな人生の中で生きがいを見出すために、様々な欲望が生まれてきます。

美味しい物を食べたい、いろんなものを見たい、刺激的な音楽を聴きたい、整形して美しくなりたい、快楽におぼれたい、お金持ちになりたい、世界を征服したい、癒されたい……

カップの7

それらの欲望を満たすためには生き続けなければなりません。欲望に取りつかれた人にとっては死んでしまったら生きる意味がないと感じてしまうでしょう。

でも、それらの欲望は、どれもこれも「自分のため」でしかありません。自分が幸せになることしか考えていないのです。

幸せとか幸福といったものこそが人の生きる意味だと教えられてきた人もいることでしょう。特に宗教を軽視しがちな日本の社会では漠然とした「幸福感」のようなものが宗教の代わりに人々の心の支えとなっていたりします。

世の中にはびこる「幸福論」のほとんどが「どうすれば欲望を満たすことができるか」を教える「効率の良い生き方論」にすぎなかったりします。考えているのはいつも「自分の幸せ」のことだけです。

しかし、自分の幸せをどんなに求めても、誰も幸せにはなれないでしょう。

幸せとは何か? 嬉しいとか楽しいとか、そういうポジティブな気持ちになれることが幸せだと考えているかもしれません。そんな気持ちにさせてくれるのが「欲望を満たすこと」だったりするのでしょう。

だから人は、自分が望むことをする=欲望を満たすことこそ幸福なのだと考えてしまうのです。

そして、ある時ふと我に返ります。

こんなに一生懸命になって自分の欲望を満たすために生きているのに、それによって成し遂げられた全て、何もかもが死んでしまったら無意味になってしまう。わずか数十年しかない人生の快楽のために必死になっている自分がばかばかしくなってしまう。

全ては無意味ではないか?

その通りです。自分の欲望を満たすために生きたところで無意味なのです。だから死にたくなるほどの虚しさを感じるのです。

最初から生きる意味はそこにはないのです。

人間的な欲望を捨て去り、本来の生命としての自分という存在に気付くことができれば、生きる意味も思い出し、まるで太陽の輝きのような力強い生命力がみなぎってくることでしょう。

太陽

あなたの命の輝きは、周りの命も輝かせることができます。

あなたは自分のために生きているわけではありません。

あなたは人のために生きているのです。

人を愛するために生きているのです。

あなたが死んでも、あなたの生命の輝きを受け継いだ人々は生き続け、新たな生命を育んでゆくことでしょう。

「死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?」

そんなことで悩むことは、もうありませんよね。


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2015年02月01日

悪口を言うのなら覚悟しておきなさい

今まであなたが言った他人の悪口は全て自分に返ってくると思いなさい。

例えば会話のはずみでつい誰かの悪口を言ったとしましょう。

あなたから悪口を聴いた相手は、いずれあなたの悪口を別の人に言うでしょう。

『あの人は他人の悪口ばかり言ってるよ』

あなたは自分が言った悪口の数だけ、自分も同じように悪口を言われるのです。

悪口を言うのなら覚悟しておきなさい。

あなたは、自分が言った悪口の数だけ、悪口を言われ続けるのです。

死ぬまでずっと。

ストレス解消のつもりで悪口を言うのは、その時だけは気分がいいかもしれませんが、その一言が周りの人を不愉快な気分にさせ、やがては自分も不幸にするのです。

だれ一人、幸せにはなりません。

悪口ほど重い罪はないでしょう。


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タグ:悪口 陰口
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2015年01月31日

赤信号で止められるのは運が悪いから?

赤信号

自転車に乗って街に出かけ、赤信号で止まっているときにふと思いました。赤信号で止められることって、運が悪いことなのでしょうか?

「私って運が悪くて、車を運転しているといつも赤信号で止められるのよね」とか愚痴を言う人がいます。他の人が運転しているときは青信号が多くてスムーズに進めると感じているわけです。

急いでいるときに限って赤信号で止められたりすると「運が悪い」と感じることもあるでしょう。急いでなくてもなぜか赤信号だと運が悪いと思うことは多いかと思います。本能的というのか、習性的というのか、人間は移動中に止められるということが不愉快なのかもしれません。別にカーレースやマラソンをしているわけじゃないのですが……。

ものは考えようだとは思いますけどね。ちょっと一休みできると思えば赤信号で良かったと言えるかもしれません。もしかしたら、ここで止まっていたから事故にあわずに済むということもあるかもしれません。必ずしも赤信号だから運が悪いというわけじゃないと思うんですよね。

自分が通るときはいつも赤信号だと感じるのも、実は単なる心理的なトリックのようなもので、嫌なことや珍しいこと(レアケース)などが起きると記憶(エピソード記憶)に残りやすいというだけのことだったりします。青信号で素通りするときは何も(少なくともストレスは)感じないことがほとんどでしょうからね。

もちろん、要領よく赤信号を避ける知恵を身に着けている人もいるでしょうから、そういう人は赤信号で止まることも少なくスムーズに目的地に向かうことができるかもしれませんが、そういうのは運の良し悪しではなくて賢いだけですからね。

同じように自分がいるときは必ず雨になるとか言って、雨男・雨女などという言葉を使うこともありますが、この場合もたまたまそう感じているだけのことなんですよね。理屈はわかりきってるのですが、なぜか未だに「自分は雨男なんだよ」とか主張する人がいるのはなぜなんでしょう? そういう特別な存在だと思われたいんでしょうかね。

赤信号の話に戻りますが、止められても運が悪いなんて思わなくてもいいんじゃないかな。悪いのは自分の気分であって、運の良し悪しは関係ありませんよね。あなただけが特別に悪い運勢のもとに生きているわけではないのです。

ありのままを受け止めて、「これでいいんだ」と思えば、ストレスのもとを一つ減らせて幸せに一歩近付けますよ。


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2015年01月18日

雪道の進み方

雪道の上を何度も人や車が通った後にできたわだちの上なら固くて平らで自転車に乗ったまま進むのも楽そうに見えます。

雪道の轍

でも、雪道の轍は凍っているので滑って転んでしまうのです。

転んでしまったら前に進めません。

だから、自転車で雪道を進むのなら、まだ誰も通っていない柔らかい雪の上を進むのです。

タイヤが雪に食い込んでなかなか進みませんが、転ばずに、確実に前に進むことができます。

人が通った後の楽そうに見える道ではなく、まだ誰も通ったことのない難しそうに思える道でなければ成し遂げられないこともあるのです。

私は雪の上を力いっぱいペダルを漕いで進みました。

雪道を無理して自転車で走ろうなどと思わずに、自分の足で歩いて進むという考え方もありますけどね。


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タグ: 自転車 雪道
posted by アポロ at 17:38 | Comment(0) | ハミング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年01月12日

自分で自分のことを占ってはいけないのでしょうか?

本

自分のことは決して占ってはいけないなどと厳しく指導する占いの先生もいるそうですね。あまり理由については聞いたことがないですが、いわゆる「タブー」というやつで理由すらも考えるなとか言われそうです。自分のことを占うのは不吉だったり、何か悪いことが起こったりするのでしょうか?

おそらく、自分のことを占おうとすると自分の気持ちや思い込みが強く反映され過ぎて、占い結果を客観視できずに判断ミスを犯しやすいということなのでしょう。あるいは、占いを教える先生が自分を占うことができず、自信のなさをごまかすために生徒にも「自分を占うな」と強制しているだけだったりして? そんな感じの禁止事項を作ると「なんかかっこいい」と勘違いしているだけのようにも思えます。

真意はわかりませんが、少なくとも自分のことを占うことが難しいというのは確かです。

私は人に教えてもらったことはないので、「自分を占ってはいけない」などという指導も受けたことはないのですが、独学の場合、はじめは自分で自分を占うことから始めるのが普通だと思います。私もそうやって占いの訓練を積んできました。

自分を占うのは他人を占うよりも難しいわけですから、これがきちんとできるようになれば占いのスキルも上達するはずです。占いの勉強のために自分のこともどんどん占えばいいと思います。

もっとも、占いというのは相談者とのコミュニケーションにこそ意味があると思うので、あんまり一人占いにはまりすぎて自分一人の世界に引きこもってしまうのはよくないことかもしれませんけどね。コンピューター占いとか自動占いなどと呼ばれる物もやり過ぎには注意が必要です。

他人から客観的な視点でアドバイスをもらうということも大切なことです。視野も広がって、人間的な成長も促され、人生に深みも増すと思います。プロの占い師であっても占い師同士で占い合うのもよいと思いますよ。いや、むしろそうすべきですね。

一人占いにはまりすぎず、たまには他人に占ってもらった方が良い。そのくらいの認識がちょうどよいのではないでしょうか。

占い師の方で私と占い合いをしたいという方がおられましたら、いつでも遠慮なくご連絡ください。


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posted by アポロ at 01:53 | Comment(0) | 占い講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする