2011年12月07日

生まれで人を判断しない

男は○○するものだとか女は○○なものだとか、あの人の星座は○○だから、血液型は○だからとか、その人の人格そのものを見ずに、生まれつきの何かで勝手に決めつけるような考え方をする人がいるけど、そういうことって、あまりいいことじゃないと思うんだよね。

わかりやすく言えば、「生まれで人を判断する」ってことだろうけど、それって、人に対する差別意識ってことじゃないの?

そりゃあね、例えば、男として生まれたら男としての生き方をすることになるわけで、それが人格に影響するのも当然だけど、それは社会がそうさせているだけで、その人本来の人格というわけではない。だから、あの人は男だから必ず浮気するとか、そういう考え方はおかしいでしょ。

星座占いや血液型占いを信じる人もいるけど、それを占いとして話のネタ程度に楽しむならいいけど、人の人格や性格を決めつけるために利用するのは良くないと思うよ。

占い師の私が言うのも変に思われるかもしれないけど、占いは占い。それによって人を正しく判断できるとは限らないというくらいの認識は持っていてもらいたいね。

ともかく、性別や星座、血液型、世代の違い、人種や国籍……そういったもので安易に人を決めつけたり判断したりしようとせず、自分の目で見て、相手と会話し、手を触れて……要は、自分の五感でしっかりと感じて、相手をきちんと理解する努力をすべきなんだよね。第六感みたいなものは禁止! 占いにも頼らない。

人間関係って、そういう面倒なところがあるけど、それを怠らなければ、結構うまくいくもんだよ。

逆に、自分の人間関係がうまくいっていないと思ったら、その時は自分が相手のことを理解する努力を怠り、生まれつきの属性か何かで勝手に判断しているんじゃないかと疑ってみるといいかもしれないね。

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タグ:占い 性格 人格
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2011年10月06日

友達と恋人の境界線

恋人

 友達として付き合っている異性との関係で、なかなか恋人という関係に進展せずに悩んでいる人も多いと思いますが、そういう人たちの多くは友達と恋人の違いがよくわかっていないのだと思います。友達から恋人へ移行する境界線はどこにあるかと聞いても答えられない人がほとんどではないでしょうか。

 もちろん、厳密な境界線なんてものはないし、仮にその境界線を引くことができるとしても、その基準は人それぞれ異なります。それでも、どうなれば恋人と言えるのかという自分なりの基準はある程度はっきりしていなければ、いくら恋人になりたいと願ったとしてもその願望の実現は遠いでしょう。

 週に何度も二人きりで食事をしているような関係なら、それだけでも十分恋人同士だと思える人もいれば、それだけではまだ友達でしかないと思う人もいるでしょう。キスをしたけどそんなのはあいさつ程度のことで恋人とは思えない人もいれば、手を握って街を歩いただけでも恋人だと思える人もいます。ホテルに行って裸で抱き合ったとしても、それはただの遊びで恋ではないと思う人もいるでしょう。

 では、その基準は人それぞれとはいえ、いったい何を基準に友達と恋人の境界線を引いたらいいのでしょう?

 お互いにはっきりと「恋人」であることを認め合うことができればそれでよいと思いますが、その境界線付近をうろついている間は、なかなかお互いに認め合うということは難しいと思います。どんなに相性が良い相手であっても、その相手は自分とは異なる人間なのですから、価値観が異なるのも当然のことです。はっきりと認め合うことができるようになるのは境界線を越えてからしばらくしてからでないと難しいでしょう。

 友達と恋人の境界線……それは、どれだけお互いの間に甘えやわがままが許されるかによって決まるのだと思います。それは、ただの知り合いと友達、あるいは親友といった人間関係の違いにおいても同様です。その違いは、おおざっぱに言ってしまえば「親密度」の違いです。

 最も親密度の低い段階では相手は「他人」ですが、そこでは甘えやわがままは一切許されません。他人とはいえ同じ人間社会の中で生活している限り、相手の存在は最大限に尊重しなければならず、礼儀とかマナー、社会的なルールなどにのっとった上で相手と関わることになります。勘違いしている人もいるかもしれませんが、「他人」というのはないがしろにしてよい存在ではありません。むしろ、他人だからこそ「最も気をつかわなければならない存在」であり、人間関係の上では一番めんどくさい存在と言えるでしょう。人間というのは、そういう社会の中で生きているわけで、これは大前提とも言えます。

 そこから多少親密度が高まると「知り合い(知人)」となり、その知り合いのうちで、より親密度が高い人たちのことを「友だち(友人)」と呼ぶわけですね。さらに親密度が高まると「親友」になります。

 この過程で何が変わってくるかというと、先ほども書いたように「甘えやわがまま」が許される度合いです。「他人」の場合と比べると、多少の礼儀やマナーを欠くことは許されるようになるし、重視されるのは社会的ルールではなく、お互いの間にあるプライベートなルールだったりします。

 そして、最大限に許しあえる関係が「親友」であると言ってもいいでしょう。他人の場合とは逆に、親友は「最も気を遣わなくてもよい存在」であり、最も楽な存在と言えるわけです。

 例えば、世の中のことで何か不平や不満があって愚痴を言いたいと思うこともあるかと思いますが、そういう愚痴は他人やただの知り合いに言うべきことではありません。彼らはあなたの愚痴を受け止めてはくれないでしょうし、そればかりか、迷惑だと思うことでしょう。その「迷惑だ」と思う感情によって、確実に人間関係は悪化し、社会生活に支障をきたすようになるでしょう。友人と言えるレベルの相手に対しても出来る限り愚痴は言わない方がよいでしょう。

 愚痴を言うのは親友と言えるような相手にしておくべきです。愚痴さえも許して聞いてくれる相手こそ親友です。つまり、ネガティブな感情をぶつけられるのは親友だけということになるでしょう。そういうともを持つ人は幸せですね。もちろん、親しき仲にも礼儀ありですから、いくら親友とはいえ限界はあります。許されないこともあるので気をつけましょう。

 さて、肝心の「恋人」ですが、その親密度で測るならどのあたりに位置する人間関係なのでしょう?

親密度と人間関係.gif

 親密度だけで言うなら、恋人のそれは親友と同等かそれ以上ということになると思います。しかし、すべてを許しあえるかというと、そうではないことが多いのではないでしょうか。

 最大限に許しあえる関係が親友ならば、その限界を超えてしまうと逆に許しあえなくなってくる。社会的ルールではなく、二人の間だけの完全にプライベートな世界のルールに縛られるようになってくる。他人の場合とは別の意味で気を遣う必要が出てくる。それが、恋人という存在なのかもしれません。恋人という存在は他人と同様に、実にめんどくさい存在なのです。

 その「めんどくさい関係」を乗り越えて付き合ってゆくためにはお互いに忍耐や努力が必要です。だから恋人との関係には「辛い」と思うことがたくさんあるわけですね。

 なかなか友達という関係から恋人へと進展させることができない人たちは、忍耐とか努力といったものが苦手で、そこから逃げてしまっているのかもしれません。友達という関係の方が楽なので、いつまでもそのままでいたいと心のどこかで思っているのかもしれません。

 もちろん、恋人とのお付き合いは楽しいものだし、人生で最も幸せだと思える瞬間でもあるでしょう。しかし、その快楽に身を任せ、欲望のままに行動してしまうと、待ち受けている様々な制限や苦痛に「そんなはずではなかった」と後悔をすることになるわけです。

 恋人と付き合うということは自由を手放すということでもあります。また、甘えやわがままは親友以上に許されるかもしれませんが、同じくらい相手の甘えやわがままも受け止めなければならないということも忘れてはなりません。それができない人は恋人の境界線を越えることができないのです。

 多くの恋人たちが陥る過ちは、自分は甘えるだけ甘えておきながら、相手の甘えやわがままを許すことを忘れてしまっているということです。恋人というのは、自分の都合のいいように使える便利な道具ではありません。相手も自分と同じ人間だということを忘れてはなりません。

 自分が幸せだと思えるならば、相手も同じだけ幸せでいられる関係を築いて欲しいと思います。

 真に恋人と言える関係は、自分の快楽に溺れることではなく、何より相手に対する「思いやりの深さ」で決まるのではないでしょうか。

 恋人に愛されることだけを夢見るのではなく、どれだけ相手を愛せるか、相手にどれだけのことをしてあげられるのか、そういうことを第一に考えられる人は、幸せな恋をすることができるでしょう。

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2011年08月12日

生きるってことはそんなにつらいことじゃない

カップの8

生きるってことはそんなに辛いことじゃない。

ただ、めんどくさいだけなのである。

めんどくさいことから逃げてばかりいると、やがては辛い状況に追い込まれてしまうというわけだ。

人生を辛くしているのは、自分自身の怠慢にすぎないのだ。

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2011年08月10日

サーファー

人生というのは波乗りサーフィンのようなものなのではないかと思う。

押し寄せる波は運命のようなもの。寄せては引き、常に変化し続ける。

サーファーの待つ波は人生のチャンスのようなもの。ただひたすら待ち続け、ここぞという時をねらってサーフボードをこぐのだ。

サーファーは波が来るのを待つことしかできない。自分が望む波を作り出せるわけでもなく、頼んでも海は応えてはくれない。

しかし、波が来れば、それがどんな波であろうとも乗りこなすのがサーファーだ。時には飲み込まれてもみくちゃにされ、命を落とすこともあろう。

人生も同じ。人は運命を変えることなどできない。運命は常に変化し続け、ただ押し寄せるのみ。人は、その運命に向かってゆき、乗りこなすしかないのである。

それが、生きるということなのだ。サーファーというのは、そのことを一番よく理解している人たちなのかもしれない。

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2011年05月23日

誰にも束縛されたくない。そう思って自由を求める者がたどり着く先にあるのは、孤独。

愚者

誰にも束縛されたくない。そう思って自由を求める者がたどり着く先にあるのは、孤独。

孤独の寂しさから逃れるために、伴侶を求めるのならば、それと引き換えに自由は手放さなければならない。

恋人

人が誰かと出会えば、そこに社会が生まれ、ルールが作られる。相手を尊重したり思いやったりする気持ちから自然とマナーと呼ばれる制約が生じてくる。人は、この世に生きる限り、決して自由にはなれないのだ。

しかし、その不自由な人間社会の中でなければ決して得られない物がある。

それは、人を愛する気持ち。

愛は、他人がいて初めて生まれる物。

人を愛すること。それが、私たち人間がこの世に生まれ、生きている理由なのだ。

だから人は、死ぬ時に初めて自由になれる。死とは、とても孤独であり、とても自由な旅立ちなのだ。

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2011年04月23日

「自給自足」って、なんだか美徳のように受け止められがちだけど、案外人間の生活スタイルとしては無理があるんじゃない?

自給自足」って、なんだか美徳のように受け止められがちだけど、案外人間の生活スタイルとしては無理があるんじゃない?

人それぞれ、自分にできることを持ち寄って、みんなが協力してこそ「社会」とか「世界」が成り立ってゆくんだと思う。

自分一人で何でもできると思うのは、思い上がりだよね。

§

例えば、セカンドライフという仮想世界では、私は基本的には「作らない主義」で、自分であれこれ物を作って済ませてしまおうとか思わないんだよね。

何でも自分で作ろうと思えば作れる世界だし、物作りをしてこそ成り立つ世界だと思い込んでる人も多いようだけど、そうじゃないのよ。

誰かが作ったものを誰かが購入(消費)することで、この世界の経済が成り立ってるわけ。誰もが自分で作って何も買わなくなったら経済は破綻して、世界も崩壊してしまう。

私は物作りはしない。その代わり、誰かが作った家や家具なんかを買ってきて、そこで「占い」というサービスを提供することで自分が受けた恩恵を世界に還元してるんだよね。

これは現実世界でも同じ。

こんな風に、人から人へ、恩恵を受け渡してゆくこと。もっと言えば、お互いに「利用しあって」世界は構築されてゆく。そこに生まれる、お互いに対する「感謝の気持ち」こそが「」なんだよね。つまり、愛は地球を救うとは、そういうことなんだよね。人は、一人では生きていけない。

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2011年01月12日

霊感は誰もが日常的に活用しているコミュニケーション能力にすぎない

霊感のような特別な才能を持っている人たちは、その代わりにどこかに障害を持っていたりすることが多いですね。目が見えないとか、耳が聞こえないとか、体が弱いとか、自閉症だとか……そういった障害を補うかのように、普通の人にはない超能力を与えられたりするのでしょうか?

特に「霊感がある」と自称する人たちを見ていると、コミュニケーション能力に障害があると感じることがよくあります。通常の手段では人とうまく通じ合うことができないため、自分なりの読心術のようなものを会得した結果、それを「霊感だ」と思い込むようになったのかもしれません。

そもそも、彼らが「霊感だ」と思い込んでいるものは特別な能力でもなんでもなくて、誰もが日常的に活用しているコミュニケーション能力のごく一部でしかないと思うのです。ただ、彼らの場合はその感覚が研ぎ澄まされ、より豊かな想像力によって増幅されているということでしょうか。

問題なのは、彼らがその「霊感」なるものに頼りはじめてしまったために、ますます他人とのコミュニケーションにおける障害を大きくしてしまっている場合が多いということです。

彼らはその「霊感」によって、自分は特別な存在だと感じるようになります。自分が感じているものは他人には感じられないという優越感は、自分は何を言っても平気だという傲慢さに変わってゆきます。たとえそれが事実であろうとなかろうと、それを確かめるすべのない相手は霊能者の言葉を信じるしかないからです。

やがて、霊能者たちは、他人に理解されないことにも慣れすぎて、自分にしか理解できないような言葉でしか語ることができなくなってしまいます。意思疎通の障害を克服しようとして会得した処世術が、ますますその障害を大きくしてしまっているという、悪循環にはまってしまうのです。彼らは、その自覚すらないかもしれません。

その悪循環から彼らを救い出すには、「霊感などない」と信じさせるしかないのでしょうか? しかし、霊感は、彼らにとっては生きるよりどころでもあるはずです。それを奪うことなどできるはずもありません。

霊感は、ないわけではないのです。ただ、それは特別なものではなく、当たり前のことなのだと、私たち自身が気づくべきなのです。悪いのは霊能者ではなく、それを特別なものだと決めつけてしまった私たちの価値観ではないでしょうか。

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2011年01月09日

言わなきゃわかんない

チャットなどをしていてよく感じることなのですが、「言わなくてもわかってくれるだろう」というような感じで、多くの言葉を省略してしまうことがよくあると思います。自分の中で思っていることがあっても、それを言葉にするということはひと手間かかって面倒なことです。ついつい怠惰になって言わずに済ませてしまおうとしてしまう。でも、実際には言わなければ相手に伝わらないものです。

本来であれば、人と話すときは相手の目を見ていれば言わなくてもわかりあえるようなこともあるでしょう。お互いのことをよく知る友人同士や恋人同士などの間ならば何も言わずに済ませられることも多いかもしれません。

しかし、インターネットを介し、パソコンや携帯電話の画面上で文字のみで会話をするようなチャットの場合(メールなどでも同じですが)、相手の表情や声色などもわからないので、普段の会話に比べてはるかに情報量が少なくなります。普段の会話と同じような感覚で話してしまうと、自分では伝えていると思っていたことが全く伝わっていないこともあるのです。お互いの受け止め方の違いが誤解を生み、後々大きなトラブルに発展することもあります。文字のみの会話では、どんな些細なことですら言わなきゃわかんないのです。

そういったことをわきまえて、会話をするときはできるだけ言葉を省略せず、面倒でも伝えるべきことはきちんと伝える癖をつけるようにした方がいいと思います。これは何もインターネットでのコミュニケーションに限ったことではありません。日常生活のどのような場面においても言えることです。日本人のように単一民族の文化圏に住んでいるとわかりづらいことかもしれませんが、アメリカのような多くの民族が集まっている文化圏の人たちにとっては当たり前のことなのです。

何も言わなくてもわかってくれるのは「黙って座ればピタリと当たる」という占い師さんだけですよ。残念ながら、私は物わかりの悪い占い師なので、何でも言ってくれなきゃわかんないですけどね。

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2011年01月08日

運命とは羅針盤のようなもの。未来を変えれば過去も変わる!

タロットカード: 運命の輪

過去を変えることは不可能だと、誰もが思っているだろう。しかし、未来を自分の理想に近づけることは可能だ。

運命とは羅針盤のようなもの。あなたが立っているのは、その羅針盤の針の軸の上だ。北を指す針が未来を示すならば、南を指す針は過去を示すだろう。

すなわち、目指す未来を自分の理想に近づけることが可能ならば、過去を変えることも可能なのだ。

未来を変えれば過去も変わる!

いつまでも過去のことでくよくよと悩む必要などない。

未来を見すえるのだ。

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2011年01月04日

本当に価値あるもの

世間に価値が認められなければ、それに見合うだけの報酬も得られないし、その仕事を続ける者もいなくなる。この法則によって長い人類の歴史は築き上げられてきたといっても過言ではないと思う。

だから、賢い人間は、まず世間に認められることを考える。それは、生き残るためには当然の選択なのだ。

しかし、今の世に認められるものだけに価値があるというわけではないのだ。その仕事には、あなただけにしか見いだせない価値というものもあるかもしれない。

たとえ今の世に認められなくとも、あるいは、愚か者だとののしられようとも、あなたがその価値を信じるのであれば、あきらめずにその仕事を続けてほしい。そうして生み出されたものこそ、本当に価値あるものなのだから。

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