2013年08月16日

なぜ生きるのか

散歩中に数匹のトンボを見かけました。緑の穂をつけ始めた稲の水田の上を、トンボたちはすいすいと戯れるように飛んでいました。

そんなトンボを見ていてふと気づきました。

「生きるって、こういうことなんだな。」

ここ最近ずっと頭の隅にあった疑問の答えを得られたような気がしました。

命あるものは、なぜ生きるのか?

そんな疑問を、人であれば思うこともあるでしょう。そんなことを考えるのはヒトという生き物くらいだと思うかもしれませんが、知能の高い猿やイルカ、鳥類くらいならそのくらいのことは考えるかもしれません。そして、その答えを自分なりに見つけ出して生きてゆくこともできます。

では、もっと小さな昆虫やアメーバのような原生動物は、何のために、何を目的に生きているのでしょう? 彼らが生きる意味を考えることなどあるでしょうか。

人の血を吸う蚊が何のために生きているのかと考えたことがあります。彼らはわざわざ人間に不愉快な思いをさせるために生きているとは思えなかったのです。

人の血を吸おうと思えば自分もまたその身を危険にさらすことになります。人間に殺されるかもしれないという大きなリスクを覚悟しなければなりません。花の蜜を吸うのとは違うのです。

彼らはこの世に生を受けると、幼生のボウフラとしてしばらく水の中で過ごします。他の動物のエサとなったりして多くが命を落としますが、生き残ったボウフラは変態して成虫の蚊となり空に飛び立ちます。

そして、この広い世界で異性と出会うと交尾をし、オスはすぐに死んでしまいます。交尾を終えたメスは子を産むための栄養を摂取するために、栄養価の高い動物の生き血を求めてさまよいます。

蚊取り線香の煙をかいくぐり、ヒトの血を吸い、叩かれ潰される前に飛び立つことができれば、子を産むことができます。命は、次の世代に受け継がれるのです。

それが、蚊の一生であり、過去何万年も、あるいは何億年も繰り返されてきた命の営みです。

彼らはただこの世に生を受け、血を吸い、死んでゆくだけ。そこに、どんな意味があるというのでしょう? 彼らが生きることで、この地球環境にどんな影響を及ぼすというのでしょう?

人間のように環境を破壊しているわけでも、何かを生産しているわけでもありません。ただ生きているだけなのです。

まるで、生きることそのものが目的であるかのように。

水田の上を飛び交うトンボの姿を見たとき、それはまるで、近所の子供たちが無邪気に遊んでいるかのようでした。トンボに感情があるのかどうかは知りません。でも、その姿はとても楽しそうでした。

「私たちは、この世界で遊ぶために生きているんだ!」

私はそう悟りました。

ここで言う「遊ぶ」とは、怠けるという意味ではありません。例えば「アリとキリギリス」という童話がありますが、まじめに働いているアリに対して、遊んでばかりいるキリギリスと同じような生き方の方が正しいと言いたいわけではありません。

この世に生を受けたなら、その命が、あるいは魂が、求めるままに行動すること。それが「遊び」であり、生きるということなのだと思います。

そこに生まれるのは喜びであり、楽しみであり、幸福感です。小さな蚊の一生の間にも必ずそれはあるはずです。

私たちは何も生産的な活動をしていないというわけではなく、幸福感を生み出すことができます。それこそが、この世界への貢献といえるのではないでしょうか。

インドのあるヨガの行者はこう言ったそうです。

「人生とは聖なる遊び(リーラ)である。」

自分の人生が辛く悲しいことばかりで、生きる意味を見失ってしまったときには、この言葉を思い出すといいでしょう。

そして、自らのソウルの声に耳を傾けてください。そこに希望の光を見出すことができるでしょう。

魂の声が聞こえないときには、タロットプロファイルをヒントにするのもよいでしょう。ソウルカードやパーソナリティーカードがあなたを導きます。

愚者


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タグ:生命 悟り
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2013年07月21日

三度目の正直

思い立ったら即実行などとも言いますが、実際、物事がうまくいくのは三回目くらいの行動です。

何かを思い立ってもすぐには行動せず、少し考える時間を作ります。そのうちまた何かのきっかけで思い出すことがあるでしょうが、二度目も保留にしてもう少し考えます。そして、三度目に思い出すころには十分に考察も重ねられ、無駄のない最適な状態で行動に移すことができるでしょう。

占い師らしく運命論的な観点から言うならば、その人にとって本当に必要な事柄であれば、最初のチャンスを逃しても再びチャンスは訪れます。二度目も逃してしまったとしても、さらに三度目のチャンスが訪れるようならば、それこそその人の人生にとって必要な事柄であると確実に判断できます。

三度目のチャンスは躊躇せずに掴み取るべきでしょう。

一度逃してしまったら二度と訪れないような事柄はそれほど重要でもないのです。くよくよせずに忘れてしまいましょう。

あなたの人生にとって必要なことであれば、それは何度でも訪れます。


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タグ:ことわざ
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2013年04月04日

おやすみなさい

剣の4

 今すぐやらなければならないことや、どうしてもやりたいことがあるのに、なかなかチャンスが巡ってこなくてその思いを実現できず、気持ちばかりが焦ってしまう時があるでしょう。

 何もできずに時間がどんどん過ぎ去って行くことに胸を痛めている人もいるかもしれません。

 そんな時は無理に何かをしようと思うのはやめて、横になってゆっくり休みましょう。

 何もできない時というのは、何もしなくて良い時なのです。同じ時を過ごすのなら、苦痛に耐えるだけの時間よりも、リラックスして心と体を休めるための時間として過ごした方がいいでしょう。

 ある日突然チャンスが訪れたときに、それをしっかりとつかんで行動することができるのは、十分に休養を取った人だけです。ストレスと戦い続けて疲労困憊している人は、いざという時に動けません。

 今のあなたに「やらなければならないこと」があるとするなら、それは休むことだけです。

 体を横たえ、何も考えず、静かに瞑想するように……ゆっくりとお休みください。


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2013年01月21日

憎まれっ子世にはばかる

剣の5

 「憎まれっ子、世にはばかる」……他人から憎まれる人ほど、逆に世間では幅を利かせるというような意味のことわざですね。

 人が世にはばかることは必ずしも悪いことではないでしょう。権力を持って精力的に活躍しているということでもあるでしょうし、こういう人がいるからこそ世の中が動いているわけですからね。世にはばかるということは、長生きするというような意味で解釈してもいいかもしれません。

 ならばもし、あなたが誰かを世にはばからせたい、長生きさせたい思うならば、愛するよりも憎んだ方がいいということでしょうか?

 「人を呪わば穴二つ」などということわざもありますが、この場合は、憎まれた相手は不幸になり、同時に自分も不幸になってしまいます。

 しかし、人を呪った(憎んだ)場合、相手は不幸になることもあるかもしれませんが、世にはばかることもあるわけです。それに対して人を呪った(憎んだ)自分の方は不幸になるだけで、世にはばかることもないでしょう。

 つまり、人を憎んだり呪ったりするような人たちはどんどん自滅してゆくので、結果として、憎まれっ子だけが生き残って世にはばかることになるということなのかな?

 たとえ憎まれても最後に生き残ることが正しい生き方だと言えるでしょうか? それもまた違うと思います。周りの人を不幸にしてまで生き残ることが幸福だとは思いません。

 正しい生き方とは、まず人に憎まれないこと、誰も憎まないこと、そして、何より愛することです。それができれば、もう誰一人として不幸になることなく、世の中は平和になることでしょう。

 もしあなたが誰かに憎まれたり恨まれたりしていると感じたならば、そのおかげであなたは世にはばかることができ、長生きすることができるのですから、その相手に感謝しましょう。

 あなたの大切な人を、愛してください。

 あなたを憎む人に、感謝しましょう。


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2012年10月21日

人生のパートナーに必要なこと

カップの10

 恋愛のテクニックだとか、良いパートナーの見つけ方だとかいった情報があふれる世の中になりましたが、そういった情報を発信する側も受け取る側も、結局は「自分が幸せになること」が目的であって、利害関係や損得勘定でしか考えていないようです。

 なんだか日本人のこころも貧しくなったものだなぁと感じます。

 世の中は不景気で、かといって日本という国が経済的に極貧かというとそういうわけでもありませんが、それでもやはり個人レベルでは毎日生きるのに必死で明日の生活がどうなるかわからないという不安を抱えて生きている人も多いことでしょう。

 そういう時代だからでしょうか。少しでも得をしたい、安く買い物をしたいという価値観が蔓延して、それが人間関係にも影響してしまっているのかもしれません。

 やはり、恋人との付き合いでも損得勘定が最優先してしまって、大切なことを忘れてしまっているような気がします。

 あちこちで紹介されている賢いテクニックを用いれば いい人パートナー も見つかるかもしれないし、恋愛も成功するかもしれません。それらの知識はそれなりに根拠のある物でしょうし、それなりの経験に基づいた情報であるものがほとんどでしょうから、活用すればそれなりにうまくいくものだろうとは思います

 でも、たとえそれで恋愛がうまくいったとしても、たいていの人はその恋に失望し、「もっといい恋があるはずだ」などと思って新しい恋を探し始めることでしょう。

 当然です。付き合う相手がどんな相手であれ、完璧な人間など存在しません。付き合う時間が長くなればなるほど相手の欠点が目に付くようになって、そういった欠点を持たない人間こそが自分の求めるパートナーだと思うようになってきます。そうなったらもう、別れることしか考えられなくなってしまうでしょう。

 損得勘定で人と付き合っているような人間は、そうやって次々と付き合う人を変えて、少しでも「付き合う価値のある人」を求めてさまようことになるでしょう。それでいろんな人から「利益」を得られていれば「幸せな人生だ」と言えるでしょうか? そう信じている人もいるかもしれませんが……。

 人間関係にもいろいろありますから、もちろんそういう損得勘定で付き合うべき相手もいるでしょう。

 しかし、人生のパートナーとして付き合う相手はビジネスパートナーではないし、何かを教えてくれるような師弟関係でもありません。そういった利害関係においては信頼できるかどうかとか、尊敬できるかどうかということも重要かもしれませんが、人生のパートナーに必要なことはそんなことでもありません。そんな風に人を「値踏み」できるなんて思いあがらないことです。

 人生のパートナーに必要なこと。それはただ、「愛すること」だけです。相手に「愛されること」ではなく、あなた自身が相手を愛しぬくことです。

 勘違いしている人も多いようですが、愛とは、相手から得られる利益のようなものではありません。愛とは、そこに生まれるものであり、育てるものです。

 たとえ、神のような愛にあふれた聖者のような人が存在したとして、様々なテクニックを駆使してそのような人と付き合うことができたとしても、その人が持つ「愛」という利益を得ることが目的であったなら、それは決して得られないでしょうし、やはり、失望する日が来て別れることを考えるようになるでしょう。あなた自身が愛する努力をしない限り、愛はどんなに求めても得られません。

 でも、あなたが彼の人を愛し、育む努力をすれば、愛は無限に生まれます。失うものは何もありません。あなたのこころはどんどん豊かになってゆくでしょう。

 愛すること、ただそれだけでいいのです。

 愛だけじゃ生きていけないって?

 そうでしょう。

 愛などなくても人は生きてゆくでしょうし、愛があろうといつかは死にます。

 でも、同じ人生を生きるのなら、愛のある人生を生きたい。

 幸福とは、そういうものではないでしょうか。


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2012年06月29日

霊性の評価について

 ある指導者の霊的なレベルを占ってほしいという相談を受けたのですが、それならまずあなたのレベルはどの程度なのかと聞いてみたところ、その相談者は答えることができませんでした。自分のこともわからないのに他人のことなど評価できるでしょうか。

 精神世界を好む人たちの傾向として、人を霊的スピリチュアルなレベルで評価・判断しようとする人が多いように見受けられます。

「あの人は霊的に優れている」
「あの人の霊性は低レベルだから……」
「後光が差して見える」
「オーラを発している」

などと自分なりに人の霊性を判断し、レベルが高い人を尊敬し、低い人は軽蔑するといったような傾向もあるのではないでしょうか。その判断力を「霊感」と呼んだりもします。

 仮にその判断力=霊感が正確であったとしても、それによって人を評価し、上下のランク付けをしたり、付き合う相手を変えたりするような行為は好ましいものとは思えません。もしそのようなことがあるならば、霊感の強い人の前では常に何かを見透かされているように感じ、自分がどのような評価をされるのかとびくびくと怯えることになるでしょう。私は、そんな霊能者と付き合いたいとは思いません。

 人にはそれぞれ異なる霊性があるのは事実だと思います。それを見極めることは悪いことではないと思いますが、人を差別的に評価するための基準として用いるのは間違いだと思います。

 人の霊性を見極めたならば、それに合わせて自分の霊性も変化させることで良好な人間関係を築くことができるでしょう。それが調和と呼ばれるものであり、精神世界の目指す理想なのだと思います。

 精神世界を好む人たちの多くが勘違いしているのは、霊感を超能力か何かのように特別で素晴らしい力だと考え、それによる超常的な現象や神秘体験を得ることを目的としてしまっていることです。神秘的な体験をすることで一時的な幸福感を得られることから、その麻薬のような快楽に中毒してしまっているのではないでしょうか。霊的に優れている人物を崇拝したがるのも、その快楽を与えてくれる期待感があるからかもしれません。これではいつまでたっても調和など得られるはずもありません。

「あなたの霊的なレベルは今どの程度なのかご説明いただけますか?」

 それを言葉にすることができるならば、その人がそのレベルに到達していることの証明にもなるでしょう。

 ブッダやイエスといったような霊性の高みに到達したような人たちでさえ、私たちに理解できるような人間の言葉でその霊性について語ってくれました。それが彼らのもたらした調和であり、神秘体験の源と言ってもいいでしょう。

 私たちもまた、自分がどのレベルにいようとも、それを人に伝える言葉を持たなければなりません。

 相手がまだ自分よりも低い位置にいると思うのであれば、身をかがめて相手と同じ目線で話せば、あなたの言葉を伝えることができます。

 相手があなたよりも高い位置にいるのなら、その人の霊的なレベルを見極めようなどと思う必要すらありません。その人はあなたの目線まで下りてきて話してくれるでしょう。

 それが、調和であり、
 それが、愛なのだと思います。


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2011年12月27日

横断歩道で手を挙げている少女

昨日、お買い物の帰り道で見かけた光景。

横断歩道で手を挙げている小学生くらいの女の子が一人。信号機はありません。車はたくさん走っています。

もし私が車の運転手だったら、たった一人の女の子のために自分の車を止め、後続の何台かの車も止めるようなことはしないかもしれない。女の子を渡すよりも、さっさと進んでしまえば後続の車が途絶えたところでそのうち渡れるようになるだろう。その方が後続の車に気を遣って気まずい思いをしないで済む。

こんな道で手を挙げている女の子のことがうっとうしいと思うかもしれない。

今通り過ぎた車も、どうせ私と同じような考えで通り過ぎるだろうなどと思っていたら、意外にもその車は横断歩道の前で止まった。もちろん、後続の何台かの車も、そのたった一人の女の子が渡り終えるまで車を止めることになる。

その時、私は自分を恥じた。今、目の前に起きていることの方が正しいことなのだと気づいた。

「道を渡りたい」という意思を示して手を挙げる女の子。それに応えて止まる自動車。当たり前のことじゃないか!

なのに、「通り過ぎてしまえ」などと思っていた自分が恥ずかしい。

女の子は横断歩道を渡り終えると、止まってくれた車に向かって深々と頭を下げていた。その光景にも衝撃を受けた。

そうか! そういうことなのか!

どこまでも自分が愚かに思えて仕方がない。

私は、女の子にとっても、手を挙げて人に何かをお願いするような態度をとるのは恥ずかしいものだと思っていた。でも、そうじゃないんだ。自分が何かをして欲しいと思うなら素直にお願いすればいい。そして、その願いを聞いてもらえたなら、感謝の気持ちをしっかりと示せばいいだけのことだったんだ!

たったそれだけのこと。それだけのことで、女の子も、車の運転手も「よかった」と思える。みんな心が暖かくなって、幸せな気分になれる。

人に迷惑をかけるとか、そういうことを気にするよりも、「人はお互いに支えあい、助け合って生きているんだ」ということに気づくべきだったんだ。

私たちは、たった一人でこの世界に生きているわけじゃない。他の多くの人たちと一緒に生きているんだ。この世界を共有しているんだ。

そんなことを改めて気づかされる出来事でした。

冷たい風が吹く伊那谷で、ほっと心が温まる思いでした。

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2011年12月07日

生まれで人を判断しない

男は○○するものだとか女は○○なものだとか、あの人の星座は○○だから、血液型は○だからとか、その人の人格そのものを見ずに、生まれつきの何かで勝手に決めつけるような考え方をする人がいるけど、そういうことって、あまりいいことじゃないと思うんだよね。

わかりやすく言えば、「生まれで人を判断する」ってことだろうけど、それって、人に対する差別意識ってことじゃないの?

そりゃあね、例えば、男として生まれたら男としての生き方をすることになるわけで、それが人格に影響するのも当然だけど、それは社会がそうさせているだけで、その人本来の人格というわけではない。だから、あの人は男だから必ず浮気するとか、そういう考え方はおかしいでしょ。

星座占いや血液型占いを信じる人もいるけど、それを占いとして話のネタ程度に楽しむならいいけど、人の人格や性格を決めつけるために利用するのは良くないと思うよ。

占い師の私が言うのも変に思われるかもしれないけど、占いは占い。それによって人を正しく判断できるとは限らないというくらいの認識は持っていてもらいたいね。

ともかく、性別や星座、血液型、世代の違い、人種や国籍……そういったもので安易に人を決めつけたり判断したりしようとせず、自分の目で見て、相手と会話し、手を触れて……要は、自分の五感でしっかりと感じて、相手をきちんと理解する努力をすべきなんだよね。第六感みたいなものは禁止! 占いにも頼らない。

人間関係って、そういう面倒なところがあるけど、それを怠らなければ、結構うまくいくもんだよ。

逆に、自分の人間関係がうまくいっていないと思ったら、その時は自分が相手のことを理解する努力を怠り、生まれつきの属性か何かで勝手に判断しているんじゃないかと疑ってみるといいかもしれないね。

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タグ:占い 性格 人格
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2011年10月06日

友達と恋人の境界線

恋人

 友達として付き合っている異性との関係で、なかなか恋人という関係に進展せずに悩んでいる人も多いと思いますが、そういう人たちの多くは友達と恋人の違いがよくわかっていないのだと思います。友達から恋人へ移行する境界線はどこにあるかと聞いても答えられない人がほとんどではないでしょうか。

 もちろん、厳密な境界線なんてものはないし、仮にその境界線を引くことができるとしても、その基準は人それぞれ異なります。それでも、どうなれば恋人と言えるのかという自分なりの基準はある程度はっきりしていなければ、いくら恋人になりたいと願ったとしてもその願望の実現は遠いでしょう。

 週に何度も二人きりで食事をしているような関係なら、それだけでも十分恋人同士だと思える人もいれば、それだけではまだ友達でしかないと思う人もいるでしょう。キスをしたけどそんなのはあいさつ程度のことで恋人とは思えない人もいれば、手を握って街を歩いただけでも恋人だと思える人もいます。ホテルに行って裸で抱き合ったとしても、それはただの遊びで恋ではないと思う人もいるでしょう。

 では、その基準は人それぞれとはいえ、いったい何を基準に友達と恋人の境界線を引いたらいいのでしょう?

 お互いにはっきりと「恋人」であることを認め合うことができればそれでよいと思いますが、その境界線付近をうろついている間は、なかなかお互いに認め合うということは難しいと思います。どんなに相性が良い相手であっても、その相手は自分とは異なる人間なのですから、価値観が異なるのも当然のことです。はっきりと認め合うことができるようになるのは境界線を越えてからしばらくしてからでないと難しいでしょう。

 友達と恋人の境界線……それは、どれだけお互いの間に甘えやわがままが許されるかによって決まるのだと思います。それは、ただの知り合いと友達、あるいは親友といった人間関係の違いにおいても同様です。その違いは、おおざっぱに言ってしまえば「親密度」の違いです。

 最も親密度の低い段階では相手は「他人」ですが、そこでは甘えやわがままは一切許されません。他人とはいえ同じ人間社会の中で生活している限り、相手の存在は最大限に尊重しなければならず、礼儀とかマナー、社会的なルールなどにのっとった上で相手と関わることになります。勘違いしている人もいるかもしれませんが、「他人」というのはないがしろにしてよい存在ではありません。むしろ、他人だからこそ「最も気をつかわなければならない存在」であり、人間関係の上では一番めんどくさい存在と言えるでしょう。人間というのは、そういう社会の中で生きているわけで、これは大前提とも言えます。

 そこから多少親密度が高まると「知り合い(知人)」となり、その知り合いのうちで、より親密度が高い人たちのことを「友だち(友人)」と呼ぶわけですね。さらに親密度が高まると「親友」になります。

 この過程で何が変わってくるかというと、先ほども書いたように「甘えやわがまま」が許される度合いです。「他人」の場合と比べると、多少の礼儀やマナーを欠くことは許されるようになるし、重視されるのは社会的ルールではなく、お互いの間にあるプライベートなルールだったりします。

 そして、最大限に許しあえる関係が「親友」であると言ってもいいでしょう。他人の場合とは逆に、親友は「最も気を遣わなくてもよい存在」であり、最も楽な存在と言えるわけです。

 例えば、世の中のことで何か不平や不満があって愚痴を言いたいと思うこともあるかと思いますが、そういう愚痴は他人やただの知り合いに言うべきことではありません。彼らはあなたの愚痴を受け止めてはくれないでしょうし、そればかりか、迷惑だと思うことでしょう。その「迷惑だ」と思う感情によって、確実に人間関係は悪化し、社会生活に支障をきたすようになるでしょう。友人と言えるレベルの相手に対しても出来る限り愚痴は言わない方がよいでしょう。

 愚痴を言うのは親友と言えるような相手にしておくべきです。愚痴さえも許して聞いてくれる相手こそ親友です。つまり、ネガティブな感情をぶつけられるのは親友だけということになるでしょう。そういうともを持つ人は幸せですね。もちろん、親しき仲にも礼儀ありですから、いくら親友とはいえ限界はあります。許されないこともあるので気をつけましょう。

 さて、肝心の「恋人」ですが、その親密度で測るならどのあたりに位置する人間関係なのでしょう?

親密度と人間関係.gif

 親密度だけで言うなら、恋人のそれは親友と同等かそれ以上ということになると思います。しかし、すべてを許しあえるかというと、そうではないことが多いのではないでしょうか。

 最大限に許しあえる関係が親友ならば、その限界を超えてしまうと逆に許しあえなくなってくる。社会的ルールではなく、二人の間だけの完全にプライベートな世界のルールに縛られるようになってくる。他人の場合とは別の意味で気を遣う必要が出てくる。それが、恋人という存在なのかもしれません。恋人という存在は他人と同様に、実にめんどくさい存在なのです。

 その「めんどくさい関係」を乗り越えて付き合ってゆくためにはお互いに忍耐や努力が必要です。だから恋人との関係には「辛い」と思うことがたくさんあるわけですね。

 なかなか友達という関係から恋人へと進展させることができない人たちは、忍耐とか努力といったものが苦手で、そこから逃げてしまっているのかもしれません。友達という関係の方が楽なので、いつまでもそのままでいたいと心のどこかで思っているのかもしれません。

 もちろん、恋人とのお付き合いは楽しいものだし、人生で最も幸せだと思える瞬間でもあるでしょう。しかし、その快楽に身を任せ、欲望のままに行動してしまうと、待ち受けている様々な制限や苦痛に「そんなはずではなかった」と後悔をすることになるわけです。

 恋人と付き合うということは自由を手放すということでもあります。また、甘えやわがままは親友以上に許されるかもしれませんが、同じくらい相手の甘えやわがままも受け止めなければならないということも忘れてはなりません。それができない人は恋人の境界線を越えることができないのです。

 多くの恋人たちが陥る過ちは、自分は甘えるだけ甘えておきながら、相手の甘えやわがままを許すことを忘れてしまっているということです。恋人というのは、自分の都合のいいように使える便利な道具ではありません。相手も自分と同じ人間だということを忘れてはなりません。

 自分が幸せだと思えるならば、相手も同じだけ幸せでいられる関係を築いて欲しいと思います。

 真に恋人と言える関係は、自分の快楽に溺れることではなく、何より相手に対する「思いやりの深さ」で決まるのではないでしょうか。

 恋人に愛されることだけを夢見るのではなく、どれだけ相手を愛せるか、相手にどれだけのことをしてあげられるのか、そういうことを第一に考えられる人は、幸せな恋をすることができるでしょう。

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2011年08月12日

生きるってことはそんなにつらいことじゃない

カップの8

生きるってことはそんなに辛いことじゃない。

ただ、めんどくさいだけなのである。

めんどくさいことから逃げてばかりいると、やがては辛い状況に追い込まれてしまうというわけだ。

人生を辛くしているのは、自分自身の怠慢にすぎないのだ。

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posted by アポロ at 18:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする