2016年07月03日

その時その人はこの世にはいないかもしれない

戦車

誰かのために何かをしてあげたいと思っているのなら、今すぐ行動しましょう。

いつでもいいと、そう思っているうちに、その日は永遠に来なくなってしまうかもしれません。その時その人は、もうこの世にはいないのかもしれないのです。

棒の8

人はある日突然死んでしまいます。いつ死ぬかなんてことは、誰にもわかりません。そして、人は必ず死にます。

だから、その人のために今できることがあるのなら、今すぐすべきなのです。

何かしたいと、そう思った時に相手が死んでしまっていたら、もう何もしてあげられないのですから。

死神


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2016年02月29日

その一歩はあなた自身が前に進むためのものではない

タロットカード: 愚者

道を歩いていて、ふと「自分の一歩はなんて小さいんだ」なんて思うことはないでしょうか。

わずか五十センチ足らず。

そんな小さな一歩では隣の町へすら行けない。日本一周だって無理だし、地球の裏側までだっていけない。

この世界の広さ、宇宙の広さを意識してしまうと、とても小さくて無力な一歩だと感じてしまうでしょう。

その小さな一歩は、あなた自身にとっては何の目的も果たすことができない無力な一歩だとしか思えないかもしれませんが……でもね、

回し車

あなたが一歩を踏み出すことによって、あなたはこの宇宙そのものを一歩分動かしているのですよ。

あなた自身が前に進んでいるのではなく、宇宙全体が動かされているのです。あなたの意志によって……

タロットカード: 運命の輪

無限とも思える広さと質量を持つこの宇宙です。それを動かすにはわずか一ミリであっても無限に近いエネルギーが必要でしょう。それを五十センチも動かしているのです。それはとてもすごいことなんですよ!

あなたの一歩は無力なんかではありません。無限の可能性を秘めた意味のある一歩なのです。

タロットカード: 世界


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2015年12月07日

気持ち好いから善いことをしろ?

本

今どきの道徳の教科書には「善いことをすると気持ちが好いでしょう」と書いてあるそうな。だから善いことをしましょうという教え方。

電車の中で座っている自分の目の前にお年寄りが立っていたら席を譲るかどうかという場面での問いかけで、正解はもちろん「席を譲る」というのが道徳的には「善いこと」になるわけです。席を譲れば気持ちが好いでしょう。だから善いことをしましょう?

一見すると正論のようだけど、こういう教え方は必ずその子の人生を間違った方向へと導くことになります。

「気持ち好いから善いことをしろ」ということは、自分の主観的な感覚で「気持ちが好い」ということが絶対的な判断基準となってしまいます。

だとすれば、「気持ち好いからマリファナ吸ってみよう」とか、「気持ち好いからこの銃で人を撃ってみよう」という考え方も正しいということになるでしょう。

現に、実体験はなくともゲームやアニメ、映画などに出てくるそういうシーンを観て「気持ちよさそう」と感じ、実際に行動してしまって取り返しのつかない犯罪行為を犯してしまったような人もいます。

原因は、学校での道徳教育でこういういいかげんな教え方をしているからではないでしょうか。

善いことをするのは気持ちが好いからではありません。必ずしも「善いこと」だけが気持ち好いとは限らないのです。むしろ、道徳に反した欲望のままの行動の方がよっぽど気持ち好かったりします。そういう行動を抑える気持ちを養うことが本当の道徳なのではないでしょうか?

お年寄りに席を譲って気持ちが好いと感じたのはなぜでしょうか? 気持ちよくなりたくて善いことをしたからでしょうか? そうではありません。辛い思いをして立っていたお年寄りを助けてあげたからです。つまり、自分が気持ちよくなりたくて善いことをしたわけではなく、お年寄りを助けるために席を譲ったのです。誰かのために何かをしてあげることができたから気持ちが好いのです。

人は一人で生きてゆくことはできません。自分は常に周りにいる誰かの支えによって生きています。そして、自分もまた他の誰かの支えになるのです。そうやって人間はお互いに支え合いながら生きているのです。生きるとはそういうことです。

その生きる意味に気づかせることのできる道徳教育であってほしいと思います。

人に助けられたら感謝し、誰かを助けることに喜びを感じる。こんなことは本当なら教えなければならないことではなく、誰もが自然に学ぶものです。でも、今の世の中はそういうことを学ぶ環境に恵まれていなかったりするかもしれません。それを補うための道徳教育であれば有意義と言えるでしょう。


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タグ:欲望 感謝 道徳
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2015年08月15日

愛を貪り食う芸術家

芸術家とかアーティストとか呼ばれる人たちの中に愛情深い人はほとんど見たことがない。彼らは誰よりもナルシストで欲深く冷血で、私利私欲を満たすためには手段を択ばない。自己中心的で他人の価値観を認めたがらない。

その非凡な才能は「愛されたい」という欲求を満たすために極限まで引き伸ばされる。

愛に飢え、必死に渇きを癒そうとする際限のない人間の欲望が生み出すもの。

それが芸術アートなのである。

タロットカード: 節制

人を愛せるだけの心の余裕がある人は必死に何かを生み出そうとはしない。だから愛情にあふれている人には芸術的才能は開花しにくい。人の気を引くために膨大なエネルギーを無駄に費やす必要はないのである。

芸術は愛を吸い込むブラックホールのようなもの。その吸引力の強さが感動の大きさに比例する。

その感動は愛となって闇に吸い込まれてゆく。優れた芸術ほど多くの人を感動させ、沢山の愛を生み出す原動力となるだろう。

程よく芸術を愛することは人の心を豊かにしてくれる。それは旨い酒のようなものだ。

だが、生み出された愛は闇の中に吸い込まれて消えてしまう。人は必死になって芸術を愛そうとするあまり、その作品に中毒し、芸術家を神のごとく崇拝するようになる。やがてはエネルギーをすべて搾り取られて枯れ果てる。芸術とは、麻薬のようなものでもあるのだ。

芸術を愛することは悪いことではないが、ほどほどにしておくべきだろう。

人間にとって大切なことは、人を愛すること。芸術はそのきっかけを作るためのものにすぎない。芸術そのものに心を奪われてはならないのだ。

芸術家自身もそのことに気づくことで、愛情深い人間へと成長できるだろう。

渇きが癒された時には芸術を生み出すエネルギーは失われているかもしれないが、そのとき彼らは人としてもっと大切なものを得られるのだ。

愛されるために一生を費やすのではなく、人を愛するために生きてほしい。

その愛は闇に消えることなく、人生を輝きに満ちたものに変えてくれるだろう。


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2015年08月08日

付き合い始めると別れることばかり考えしまう人は

運命の輪

磁石のS極はN極と引き合い、S極同士やN極同士は反発しあいます。

地球自体も大きな磁石のようなもので、N極は北側に引き寄せられ、S極は南側に引き寄せられます。どちらかが強すぎたり弱すぎたりすると磁場のバランスが崩れてしまうので、S極とN極はだいたい同じ割合で存在するのでしょう。

人も地上にうごめく磁石のようなものです。自分がS極なら反対のタイプのN極の相手は人口の半分くらいはいるかもしれません。そんな中で出会い、引き合った相手は間違いなくN極です。磁極が異なるから惹かれ合うのです。

離婚や別れの言い訳に「お互いの価値観の不一致」などという言葉をよく聞きますが、そもそも一致しないのが当たり前です。異なる相手だからこそ恋をし、結婚できたのですから。

あるいは、お互いの性格を性的嗜好としてのS(サディスト)とかM(マゾヒスト)などと表現して、付き合い始めてから「S同士だから合わない」とか「M同士だから合わない」などと言って別れてしまうカップルなどもいますが、これも別れる理由としては正当なものとは言えません。惹かれ合った時点で二人は異なる磁極を持っていたはずだからです。

性的嗜好はSとMでなければ付き合えないということはないのです。S同士、M同士でもよい関係は築くことができます。

大事なことは、異なる磁極に引き寄せられて出会い、お互いのことをよく知らなくても自然と惹かれ合って人は付き合うということです。それが人の本能であり、運命というものなのです。それを受け入れることで世界はバランスを維持することができるようになります。人の幸福とはそのようなバランスの取れた世界で生きることなのではないでしょうか。

もしその世界で、誰かが自分の欲望のために運命の相手を捨てて他の相手を探し始めたら、世界はどんどんバランスを崩してゆきます。磁場は乱れ、地表には宇宙からの放射線が降り注ぎ、生物は死滅するでしょう。

磁極とか磁場というのはあくまで「たとえ」の話にすぎませんが、現実に地球の磁場は近年急速に弱まっているといわれています。その原因がこの世界の法則を無視して欲望を満たそうとする人間にあるとするならば、このたとえ話もばかにはできないでしょう。教訓として真剣に向き合うべきことなのではないでしょうか。

自然と惹かれ合うことにこそ意味があるのです。その運命に感謝し、出会った相手との関係を大切にしてください。

付き合い始めると別れることばかり考えしまうような人は、自分がこの地球環境を汚染している汚染源だと自覚すべきでしょう。

価値観が一致せずとも、性的嗜好が合わなくとも、その相手を受け入れる気持ちこそが大地に「愛」という名の花を咲かせるのです。


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2015年04月08日

離婚することは悪いことではない

剣の6

離婚することは悪いことではないと思います。

離婚に罪悪を感じること自体が既に時代遅れなのかもしれませんけどね。だとしたら今さら私が「悪いことではない」なんて偉そうに言う必要もないのかもしれませんが……。

結婚なんて所詮は書類による手続きにすぎません。離婚するのも同様。お互いが同意の上で好きにすればよいのです。

ただし、結婚する時に「一生の愛」とか「永遠の愛」とやらを神の前で誓ったりしているのなら、離婚することは悪いことになります。なぜなら、嘘をつくことになるからです。しかも神に対して嘘をつくことになるわけですから大罪ですね。何のお咎めも無しというわけにはいかないでしょう。必ず何らかの罰を受けることになります。人は何も言わなかったとしても、神様はお怒りでしょうから天罰は下ります。

だいたい今の人たちは「結婚式を挙げたくて結婚する」というような人も多いでしょう。純白のウェディングドレス、かわいい教会、指輪の交換、誓いのキッス……憧れ要素満載で、人生の一大イベントです。

タロットカード: カップの7

世の中には結婚すらせずに(同性婚とか法律上は正式に結婚できない事情などがあって)結婚式だけを挙げてしまうようなカップルもいるほどです。そういうセレモニー(お祭り)が好きなんでしょうね。

いいんですよ。結婚式を挙げるのも自由。でも、どうせ離婚をするのなら、決して「一生の愛」とか「永遠の愛」なんてものを誓ってはなりません。誓うのなら「たぶん三、四年で離婚しますが」という条件付きの愛の誓いにとどめておくべきでしょう。そうすれば離婚するときに罪悪感で悩むこともなくなります。神様も「それなら仕方がない」と許してくれるでしょう。

実は、人間ってのは本能的に三、四年程度しか恋愛感情が持続しない生き物なのだそうです。だから、付き合ってすぐ結婚したような夫婦の場合は三、四年経つと気持ちが冷めて離婚したくなるのです。

気持ちが冷めたから離婚してしまうというのは、お互いに愛し合っていたわけではないということですね。恋愛という「感情Cups)」に振り回されていただけにすぎません。

タロットカード: カップのエース

愛とは感情ではありません。表現の仕方は無数にありますが、あえて感情と対になる言葉で定義するならば、それは「感覚Pentacles)」です。相手の存在がそこに「在る」と認めること。その相手を「生かす」こと。それが愛です。愛は三、四年でなくなることはありません。相手が存在し続ける限り、愛もまた永遠にそこに在り続けます。感覚が麻痺して感じ取れなくなっていたとしても、それは常にそこに在るのです。

タロットカード: ペンタクルスのエース

愛するとは、その愛を感じ取ることです。それは「本能Wands)」とは無関係です。人間の「理性Swords)」がもたらすものと言ってもよいでしょう。たとえ忘れかけていても、意識すればいつでも思い出すことができます。永遠の愛を誓うというのは、そういう気持ちを意識的に持ち続けるということです。一時的な恋愛感情が覚めたとしても、愛し続けることはできるのです。

しかし、人はそれを勘違いして、恋愛感情が覚めたら「愛もなくなった」と考えてしまうのでしょう。もうその時点で離婚せずにはいられなくなってしまうのではないでしょうか。

人間はとかく本能に身を任せ、理性を見失いがちです。人は古来からそのような怠惰な本質を理解していたからこそ、結婚式を挙げ、神の前で愛を誓わせ、簡単には離婚できないようにしたのではないでしょうか。そうしなければ人々は感情のままに結婚と離婚を繰り返し、社会の秩序を保つことができなくなってしまうでしょう。

タロットカード: ペンタクルスの10

男と女は結婚し夫婦となり、子を産み、家族を作ります。そこに社会の基盤ができ、国家へと成長してゆく。平和な国づくりのためには家族という最小単位の社会をまず何より強固にしなければなりません。結婚式はそのために絶対に必要な儀式だったのです。

タロットカード: X 法王

崇拝する神が存在することは、国を強くすることでもあったわけです。日本古来の神道の本質もそこにあったはずです。

しかし、現代の日本では(いや欧米でも同様かもしれませんが)何が起きているのか?

個人主義的な価値観が尊重され、夫婦は家族である以前に一人の人間であるという意識が高まってきています。家族(他人)の幸せよりも自分の幸せが優先されるようになってきたのです。

タロットカード: T 魔術師

そして、神や宗教といった意識もどんどん薄れてきています。神に対する誓いなどには意味はなく、単なる形式でしかなくなってしまっています。そのことに罪悪すら感じません。

でも華やかな結婚式には憧れる。結婚式を挙げたいという、ただそれだけのための結婚にすらなってしまっている。結婚式という夢を叶えてしまったら、その後のことなど考えていないので愛を育む努力などせず、気持ちが覚めたら離婚するだけ。

タロットカード: カップの8

家族という国を支える基盤が崩壊してしまったら、その国は弱まり、やがては滅びることになるでしょう。

タロットカード: ペンタクルスの5

つまり、この国は今、滅びに向かっているということです。人が受けなければならない罰というのはそういうことなのかもしれません。

それでもよければ、離婚なさい。

離婚することは、悪いことではありませんから。

愛することを忘れた国など滅んで当然です。


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2015年02月24日

死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?

「死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?」

死神

生きる意味を見失って悩み苦しみ、自殺まで考えてしまう人もいます。

なぜ悩むのか?

それは、生きるということがただ「生命を維持する」という意味でしかないと学んできたからかもしれませんね。学校で生物や化学の授業などをまじめに勉強していた優等生ほど悩んでしまうかもしれません。

「生きる」とは「息をする」が語源とも言われています。呼吸を止めたら死にます。

酸素を取り込み体内で化学反応を起こし、熱や電気エネルギーなどを作り出して運動したり、神経伝達物質を活性化して脳で思考したりします。

口から食物を取り込み、胃酸で溶かして腸で吸収し、筋肉や骨を作ります。

生命を維持するとはそういうことであり、化学的にはそんな考え方になるでしょう。

生物学的な考え方をすればもう一歩踏み込んで「生殖」が出てくるでしょう。そこまで考えると生きる意味が少しだけ見えてきます。次の世代へ命を受け継ぐこと。それが生きることだと分かってくるのです。

さらに動物学や社会学的な考え方まで広げれば、子孫繁栄のためには外敵から身を護ったりするために仲間同士で助け合ったりする必要があることがわかってくるでしょう。場合によっては自分の身を犠牲にして命を懸けて仲間を守ることもあります。

ここまで来てやっと、生きることが自分のためだけではないということに気付くことができるでしょう。

この世の生命は全てこの法則にしたがって生きているはずです。だから、悩む必要などないのです。

ところが、なぜ人は生きる意味を見失い、悩んでしまうのでしょう?

それは、人が高度な文明と知性を身に着けてしまったがゆえに、本能的な生命としての役割を見失ってしまうほどの「欲望」に取り憑かれてしまったからではないでしょうか。エデンの園で禁断の果実を食べてしまったイブとアダムのように。

恋人

人間は他の動物と違って生殖活動によって種を維持するだけのために生きているわけではありません。様々な社会的な営みがあり、子育てが終わると人それぞれの生き甲斐を見出してゆくことになります。独身で生涯を過ごす人もいます。

そんな人生の中で生きがいを見出すために、様々な欲望が生まれてきます。

美味しい物を食べたい、いろんなものを見たい、刺激的な音楽を聴きたい、整形して美しくなりたい、快楽におぼれたい、お金持ちになりたい、世界を征服したい、癒されたい……

カップの7

それらの欲望を満たすためには生き続けなければなりません。欲望に取りつかれた人にとっては死んでしまったら生きる意味がないと感じてしまうでしょう。

でも、それらの欲望は、どれもこれも「自分のため」でしかありません。自分が幸せになることしか考えていないのです。

幸せとか幸福といったものこそが人の生きる意味だと教えられてきた人もいることでしょう。特に宗教を軽視しがちな日本の社会では漠然とした「幸福感」のようなものが宗教の代わりに人々の心の支えとなっていたりします。

世の中にはびこる「幸福論」のほとんどが「どうすれば欲望を満たすことができるか」を教える「効率の良い生き方論」にすぎなかったりします。考えているのはいつも「自分の幸せ」のことだけです。

しかし、自分の幸せをどんなに求めても、誰も幸せにはなれないでしょう。

幸せとは何か? 嬉しいとか楽しいとか、そういうポジティブな気持ちになれることが幸せだと考えているかもしれません。そんな気持ちにさせてくれるのが「欲望を満たすこと」だったりするのでしょう。

だから人は、自分が望むことをする=欲望を満たすことこそ幸福なのだと考えてしまうのです。

そして、ある時ふと我に返ります。

こんなに一生懸命になって自分の欲望を満たすために生きているのに、それによって成し遂げられた全て、何もかもが死んでしまったら無意味になってしまう。わずか数十年しかない人生の快楽のために必死になっている自分がばかばかしくなってしまう。

全ては無意味ではないか?

その通りです。自分の欲望を満たすために生きたところで無意味なのです。だから死にたくなるほどの虚しさを感じるのです。

最初から生きる意味はそこにはないのです。

人間的な欲望を捨て去り、本来の生命としての自分という存在に気付くことができれば、生きる意味も思い出し、まるで太陽の輝きのような力強い生命力がみなぎってくることでしょう。

太陽

あなたの命の輝きは、周りの命も輝かせることができます。

あなたは自分のために生きているわけではありません。

あなたは人のために生きているのです。

人を愛するために生きているのです。

あなたが死んでも、あなたの生命の輝きを受け継いだ人々は生き続け、新たな生命を育んでゆくことでしょう。

「死ぬと分かっているのに生きる理由は何ですか?」

そんなことで悩むことは、もうありませんよね。


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2015年01月31日

赤信号で止められるのは運が悪いから?

赤信号

自転車に乗って街に出かけ、赤信号で止まっているときにふと思いました。赤信号で止められることって、運が悪いことなのでしょうか?

「私って運が悪くて、車を運転しているといつも赤信号で止められるのよね」とか愚痴を言う人がいます。他の人が運転しているときは青信号が多くてスムーズに進めると感じているわけです。

急いでいるときに限って赤信号で止められたりすると「運が悪い」と感じることもあるでしょう。急いでなくてもなぜか赤信号だと運が悪いと思うことは多いかと思います。本能的というのか、習性的というのか、人間は移動中に止められるということが不愉快なのかもしれません。別にカーレースやマラソンをしているわけじゃないのですが……。

ものは考えようだとは思いますけどね。ちょっと一休みできると思えば赤信号で良かったと言えるかもしれません。もしかしたら、ここで止まっていたから事故にあわずに済むということもあるかもしれません。必ずしも赤信号だから運が悪いというわけじゃないと思うんですよね。

自分が通るときはいつも赤信号だと感じるのも、実は単なる心理的なトリックのようなもので、嫌なことや珍しいこと(レアケース)などが起きると記憶(エピソード記憶)に残りやすいというだけのことだったりします。青信号で素通りするときは何も(少なくともストレスは)感じないことがほとんどでしょうからね。

もちろん、要領よく赤信号を避ける知恵を身に着けている人もいるでしょうから、そういう人は赤信号で止まることも少なくスムーズに目的地に向かうことができるかもしれませんが、そういうのは運の良し悪しではなくて賢いだけですからね。

同じように自分がいるときは必ず雨になるとか言って、雨男・雨女などという言葉を使うこともありますが、この場合もたまたまそう感じているだけのことなんですよね。理屈はわかりきってるのですが、なぜか未だに「自分は雨男なんだよ」とか主張する人がいるのはなぜなんでしょう? そういう特別な存在だと思われたいんでしょうかね。

赤信号の話に戻りますが、止められても運が悪いなんて思わなくてもいいんじゃないかな。悪いのは自分の気分であって、運の良し悪しは関係ありませんよね。あなただけが特別に悪い運勢のもとに生きているわけではないのです。

ありのままを受け止めて、「これでいいんだ」と思えば、ストレスのもとを一つ減らせて幸せに一歩近付けますよ。


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2013年11月19日

小さな悩み

天気、晴れ。室温、11度。日に日に寒さは増しています。

朝起きて、いつもの習慣で洗面台の前に立ち、水道の蛇口を見つめるのですが、そこに手を伸ばすまでに毎回ほんの一瞬心の中で葛藤があります。

顔を洗うべきか否か……。

冷たい水で顔を洗うのが苦手です。このまま洗わないで一日過ごしてしまおうかと思ってしまうこともあります。

でも、やっぱり、朝起きてすぐに顔を洗うことで目も覚めるし、さっぱりして気分もいいはず……

どうするの? 洗うの? 洗わないの?

そんな小さなことで毎朝悩んでいます。

その迷いは、朝から苦々しいストレスで自分を攻撃するのです。

私は自分に言い聞かせました。

そんな小さなことで悩んでいてどうする!

何も考えずに、とにかく顔を洗え。

顔は洗うのだ。

そう考えれば、あとは、覚悟を決め、それにいかに耐えうるかを考えればいいだけです。

蛇口をひねり、ほとばしる冷水を両手ですくい、顔面にたたきつけ、こすりつけます。

ぬれた顔をタオルでふき取るころには気分は爽快で、活力も湧き上がってきます。今日も一日がんばれそうなポジティブな気分になってきます。

何かをするかしないかで悩むことはストレスになるだけで何もよいことはありません。とにかく「する」と決めてしまえば、悩むことの辛さからは解放されるのです。迷いがなければ失敗の可能性も低くなるので、良い結果を招きやすくなります。

悩むことが習慣になっている人は、成功の機会を失いがちだともいえるでしょう。豊かな人生を送るためには、悩みを手放す習慣が必要なのだと思います。


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2013年11月09日

いつでもそこにある感動〜オーロラ色の輝き

空-2012年9月10日

この写真は去年の秋ごろにたまたま見かけた空を携帯のカメラで撮影したものです。空に広がる白い雲の筋が、なんとなくオーロラに似ているような気もしました。

私は本物のオーロラは見たことはありませんが、その輝く光の幕はもっと色鮮やかで、さぞや美しいことでしょう。極寒の地でなければ見ることができないという思いが人々のオーロラに対するあこがれをさらにかきたてているのかもしれません。

でも、極寒の地に行かなければそのような感動的な光景を見ることができないわけではありません。

私たちのごく身近な日常の中にも、それはあるのです。

ただ、多くの人はその美しさを感じることのできる こころの目 を失ってしまっているだけなのではないでしょうか。

感動はすぐ目の前にいつでもあるのに、手の届かない遠い世界に夢を見てしまう。そこにしかそれはないと信じてしまっている。

そんな人生は不幸だと思います。

日常の何気ない風景の中に感じるオーロラ色の輝き。こころの目を見開けば、きっと見えてきます。

あなたも探してみませんか。

それは、いつでもそこにあるのです。

日常の風景

幸せな人生というものは、どこか遠くにあっていつか手に入れられるものではなく、いつでもあなたの目の前にあるではありませんか。手を伸ばせば、いつでもそれはあなたのものです。


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