2015年12月24日

子供にしか味わえない感動がある

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子供のころには見えた物が大人になると見えなくなってしまったり、子供のころには聞こえていた音が大人になると聞こえなくなってしまったりすることがあります。

ピーターパンとかサンタクロースがいるとかいないとかいうようなファンタジーのお話ではありません。現実に老いが五感の働きを衰えさせてしまうというお話です。私自身も四十路を越え、体のあちこちに衰えを感じています。

年を取るとだんだんと高い周波数の音は聞こえなくなってくるそうです。音楽などを聴いているとあまり自覚はないものの、もし若いころに同じ曲を聴いたら今とは違う感じ方をするのかな? と思ったりもします。

このくらいの年になると老眼が気になる人も増えてくるでしょう。色彩感覚も衰えて何もかも色あせて見えてきてしまったり……。

子供のころに見た絵本の記憶も残っていますが、同じ絵本を今見たら全く違って見えるかもしれません。

子供のころにしか聞こえない音、子供のころにしか見えない色があるならば、それらを見たり聞いたりしたときの感動は子供のころにしか味わえないということですよね。そうやって子供たちは独自の感性を養ってゆくことができるのだと思います。

同じ感動は大人には味わえないでしょう。大人には大人の感じ方があるので、必ずしも感動は子供だけのものというわけではありませんが、大人になってから慌ててても決して取り戻せないものがあるのです。

だからこそ、子供のうちから美しい風景や絵画を見たり、生演奏の音楽や自然の音を聴いたりすることはとても大切なことだと思います。

目や耳だけではなく、匂いや味、手触りなど、五感で感じられるものすべてが貴重な体験となります。

今の時代、技術の進歩によってあらゆるものを疑似的に体験することが可能になってきましたが、その疑似的な体験は子供たちに歪んだ感性を養わせてしまうことになりかねないので大変危険だと思います。

例えば、音楽などは携帯音楽プレーヤーで MP3AAC などの圧縮されたデジタル音源を聴くことが当たり前になっていますが、それらの音源は生の音に比べると非常に多くの音の成分が削り取られてしまっています。高い周波数の音は最初からカットされていたりするので子供が聴いても大人が聴いても全く同じように聴こえてしまうものもあります。圧縮されていないCDの音源であってもデジタル化された時点で多くの情報が抜け落ちてしまっています。それは今話題のハイレゾ音源であっても同じです。どんなに高音質であっても生の音をそのまま再現することは不可能なのです。

音楽を聴くなら、コンサートホールなどで生の演奏をその場で聴くのが最高の体験となります。私もめったに生演奏を聴く機会がないのですが、たまにそういう経験をするとあまりの音の違いにびっくりしてしまいます。音楽とは本来こういうものなのだと改めて実感させられます。ヘッドホンで聴くような音楽は、それがたとえどんなに高級なオーディオ機器を使用していようともしょせんは偽物です。本物の音楽は体全体で感じるものです。

そんなに気負わなくても外に出れば自然界には様々な音があふれています。耳をすませば小鳥のさえずり、虫たちの合唱、風のささやき、大地の唸り、雷の響き……そんなごくありふれた自然の音にちょっと意識を傾けてみるだけでもいいのです。虫の声などは周波数が高いので大人になるとだんだんと聞こえなくなってきます。ごく日常のありふれた音にすぎませんが、そんな些細なことでも子供のころにしっかりと体験しておくことが大切なのです。

デジタル音源は、たとえCDやハイレゾ音源であっても加工食品のようなものです。加工食品ばかり食べていたら体に悪いでしょう。

食べ物も子供が好きなものだけを食べさせていたら大人になって味がわからなくなってしまいます。甘みだけでなく渋みや苦みといったいろんな味の体験は子供のころにしておくことが大切です。

味覚や嗅覚は健康にも影響が大きいので、健康に育つためには子供のころにしっかりと養っておくべきでしょう。年を取ってから成人病で苦しむような人は子供のころから食生活に問題があるような人が多いのではないでしょうか。

子供同士で喧嘩することも必要な体験です。お互いに追いかけまわし、逃げ回り、必死になって走ることで環境になじみ、体の使い方を覚えます。殴り合いの喧嘩をすれば痛みを体で覚えます。そうやって人との適切な関わり方も学ぶでしょう。子供のころに喧嘩をしたことがないような人ほど大人になってから恋人や家族に対して手加減なしに暴力をふるうようなDV行為に及んだり、反社会的な犯罪行為に走ったりしてしまうのではないでしょうか。

今どきの親たちは子供たちが喧嘩をするようなことがないようにかなり気を使っているようで、いじめ問題などにもかなり過敏に反応していますが、そんな過保護で甘い育て方をしているからかえって世の中が歪んでしまうのです。子供たちは喧嘩をしながら育つ方がよっぽど健全です。

土にまみれ、草木に触れ、昆虫やミミズや蛇や魚と戯れる。そうやって子供たちは命の大切さを学びます。そういうことは家の中にこもってゲームをしたりテレビを見たりして過ごしていたら学ぶことができないのです。

最近のゲームはとてもよくできていて、実写かと思うほどリアルな描画が可能になっていますが、そんな作り物の風景を見て育つことが健全だと言えるでしょうか? 仮想世界も現実と変わらないくらいリアルになれば、その疑似体験で十分だと思いますか?

ゲームの中でひたすらモンスターを虐待し続けたり、オンラインの友達と会話をしたりすることが本当のコミュニケーションだと言えるでしょうか?

自分の拳で殴り合いもできないようなオンラインの距離感で付き合っても本当の人間関係など築けません。どこかに歪みが生じ、いずれは異常な犯罪行為に発展しかねません。

何より五感で感じ取れる体験が大切なのです。そうした体験は本来であれば子供の成長の過程で自然に経験してゆくものなのでしょうけど、複雑な現代社会の環境ではなかなかそれができなかったりします。放っておいても子は育つなどとも言いますが、やはり大人たちがある程度は導いてあげることも必要だと思います。

大人になってから気付いても遅いのです。子供たちの健全な未来のために、大人の私たちが上手に導いて、子供たちに上質な体験をさせてあげたいですね。

タロットカード: カップの6


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posted by アポロ at 00:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 漫録2015年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年11月14日

子供の人生は子供自身が決めるべき - キラキラネーム

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キラキラネームなどと呼ばれるちょっと変わった名前を付けたがる親が増えているそうです。というか、実感としてはキラキラネームは一部の変人だけの傾向というわけではなく、すでに一般化して流行状態にあるようにも思えます。

大学出のそこそこ教養があるような親でも自分の子供にはキラキラネームを付けないと恥ずかしいと感じ、競うようにしてキラキラネームを付けているというような風潮が蔓延しつつあるようにも見えます。他にはない個性的な名前を付けた方が勝ちというような感じでしょうか。個性と言いつつも、結局は他人の評価(しかも親自身の評価)だけしか気にしてないような気もしますけどね。

子を思う親心という言い訳で正当化しているつもりかもしれませんが、生まれた瞬間に子の人生を決めつけてやろうという考え方は親の自己満足や支配欲求、あるいはエゴイズムの表れでしかなくて、思いやりとは真逆の行為です。親が自分のエゴのために子供を利用しているわけですから、極論をすれば、生まれた直後から幼児虐待が始まっているともいえるでしょう。そんな親の元で育てられる子供は不幸です。

子供の人生は子供自身が決めるべきであって、物心もつく前から、あるいは生まれる前から親が勝手に決めつけてよいはずがありません。

親の自己満足のためにキラキラネームを付けられた子供が幸せな人生を送れるわけがありません。

子の幸せを願って名前を付けるのならば、親のエゴを押し付けるのではなく、その子の将来のことを思って付けるべきです。そう考えれば、誰にでも読めて、誰が見ても不快な思いをしないような、世代を超えて通用する一般的な名前がよいということくらいすぐにわかるでしょう。それこそが本当の思いやりです。

戸籍上の名前など単なる記号でしかないのですから太郎や幸子で十分なのです。記号的なものは世間一般に通用してこそ意味を持ちます。読めないような意味不明の名前では他人に迷惑をかけることも多いわけで、明らかにその人の幸せな人生を妨げています。

例えば政治家などは選挙などでより多くの人に名前を覚えてもらうために本来は漢字の名前をわざわざ平仮名で表記する人もいます。社会生活においては読みやすい名前の方がよいのは間違いありません。

わざわざ読みにくいキラキラネームなんか付けなくても、後からいくらでもニックネームや愛称を付けて呼ぶことができます。そういう愛称の方がよっぽどその人本人のことをよく表していたりします。現実には本名でそのまま呼ばれる人の方が少ないでしょう。「たーぼう」とか「さっちゃん」という感じで。

親が勝手につけた名前などほとんど意味がないのです。というか、親の名前の通りに育つ子供などめったにいません。

大人になれば自分で別名を名乗る人だっているでしょう。社会的に通用する名前は自分で好きなように付ければよいのです。私だって「アポロ」を名乗って十数年。既に「アポロ」としての人格が確立しています。本名など関係ありません。

とにかく、子供は親の玩具おもちゃじゃありません。子供には子供の人格があり、子供なりに育ってゆきます。親の願いを押し付けたり決めつけたりするものではないのです。それだけは忘れないでほしいと思います。


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posted by アポロ at 19:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 漫録2015年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年11月07日

シャワー

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一日中パソコンに向かって椅子に座っていると血行が悪くなるせいか体中が冷えてくる。冷え性というのはこんな感じなのかもしれない。特に足元の冷えがひどくて氷のように冷たくなっている。これからの季節は辛いね。

本当はお風呂にゆっくりと浸かって温まりたいところだけど、たいていは時間とお湯の節約のためにシャワーだけで済ませてしまう。

温かいシャワーを浴びているだけでも冷え切った体は温まってくる。温かいシャワーは好きだ。

そのまま上がってしまいたいところだけど、最近は上がる前にできるだけ冷たいシャワーを浴びるようにしている。その方が皮膚が閉まって冷えにくいからだ。

でも冷たいシャワーほど苦手なものはない。真夏の暑い時期だって冷たいシャワーを浴びたいなどとは一度も思ったことがない。

だからもともと冷たいシャワーを浴びる習慣もないんだけど、我慢して浴びるようにしている。

もうすぐ寒い冬がやってくる。それを耐え抜くには冷えにくい体質や生活習慣を作っておかなくちゃね。


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posted by アポロ at 15:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 漫録2015年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2015年03月23日

ほどけた靴ひも

ほどけた靴ひも

ふと気づくと靴ひもがほどけていました。

結んだ紐はどんなにきつく縛っておいてもいつの間にかに自然と緩んでいて、ある日スルッとほどけてしまいます。

だから時々きつく縛りなおしてやらなければなりません。

日々の生活、何事においても同じだと思いますけどね。


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タグ:靴紐
posted by アポロ at 17:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 漫録2015年 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする