2016年08月12日

ワイドモニターを購入したので

本

BD で「ダイ・ハード 4.0」を観ました。面白かった!

つい先日パソコンのモニターを購入して、やっと BDBlu-ray Disc)を観れるようになりました。BD ドライブは一年前に購入したパソコンに内蔵されていたのですが、モニターが HDCP とかいうものに対応していなかったために BD を観ることができなかったんですよね。いわば宝の持ち腐れ状態でした。

今まで使っていたモニターは 19 インチで縦横比が 5 : 41280 ピクセル× 1024 ピクセル)でサイズ的には不自由は感じていなかったのですが、ちょっと古めなので HDCP に対応していませんでした。BD を観るためには HDCP の対応は必須らしいのです。

新しく買ったモニターは BenQ というメーカーの GL2460HM です。24 インチのワイドモニターで Full HD1920 ピクセル× 1080 ピクセル)の表示ができます。16 : 9 の横長の画面です。もちろん HDCP にも対応しています。

24 インチといっても画面の高さは 19 インチのモニターとほぼ同じで、解像度がわずかに高いのでほんの少しだけ文字が小さく見えます。年を取ってくると小さい文字を見るのがだんだん辛くなってくるので、モニターに表示される文字は少しでも大きい方がいいのですが、このくらいならギリギリ許容範囲です。DPI とかいじれば文字の大きさはいくらでも変えられるのですが、今はそこまでするほどではありません。

横幅は想像していた以上に広くて使用感は大きく変わりました。特に動画等を視聴するときの迫力はかなり増しています。その点はワイドモニターの最大の魅力ですね。大画面で目の前に迫ってくる感じはたまりません。映画館の感動に一歩近づいた感じです。まさにそのためのワイドモニターです。

ただ、ウェブブラウザ等は最大化して使うと横に長すぎてしまって、テキスト中心のサイトの場合は読みづらくなってしまうこともあります。ウィキペディアなんか見れたものではありません。そういう状況をみると最近はブラウザを最大化して使う人は少ないのかなというような気もしました。

ブラウザの横幅は画面の半分くらいのサイズにして使ってる人が多いのかな? でも、タブをたくさん開いたりするときは全画面の方が見やすくて便利なんだけど、それだと本文が読みづらくなる。一長一短なんだよね。パソコンで作業をするにはワイドモニターって実はそれほど合理的とは言えないと思います。

その点はこのブログ「アポロ漫録」はぬかりありませんけどね。記事が縦書きになっているので、画面が横長になればなるほど読みやすくなるという今どきのモニターの流行に最大限にマッチした先見性のあるデザインになっているのです! 合理的とはこういうことを言います。

長年このデザインでブログを書いていながら、私自身はその恩恵を全く受けていなかったわけですが。実際にワイドモニターで自分のブログを見て、思っていた以上に読みやすいということを改めて実感しました。(自画自賛ですいません。)

ちなみに、今まで使っていた 19 インチのモニターはサブモニターとして引き続き使用しています。新しく買ったワイドモニターと合わせて二画面構成(デュアルディスプレイ)になっています。

さて、せっかく BD を観れるようになったのですから、さっそく何か観てみようと思ってツタヤに行って探してみました。

ツタヤには数年前から BD のビデオがちょこちょこと棚に並び始めているなとは思っていたのですが、今ではかなりの数が置かれているようです。洋画などは割と古いものでも BD の物が置かれていて、新作はほとんど BDDVD の両方が置かれていたりします。物によっては BD のみだったりして、以前は観たくても観れないというちょっと悔しい思いもしていたのですが、今なら全てのビデオが選び放題です。

日本製の映画やドラマはまだ BD はほとんど見かけませんでした。アニメも BD はかなり少なめでした。もしかしたら日本製の作品はレンタルする場合には何か権利的な制約でもあるのでしょうか?

最初に観る BD はそこそこ観応えのあるものにしたいなと思いました。

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」というちょっと古めの映画の BD も棚に並んでいました。これは昔、アメリカの劇場で観て面白かったので DVD でも何度か観ているお気に入りの映画の一つです。BD のクオリティを確かめるにはちょうどいい作品だと言えます。が、何度も観ているのでかえって視聴に集中できなかったりしそうでもったいないような気もします。こういうのは暇つぶしに何となく観るくらいがちょうどいい。

どうせなら初見で、そこそこ知名度のある作品がいい。画面やサウンドの迫力を十分に味わいたければやっぱり「爆発物」でしょ。エクスプロージョンですよ!

などと思いながら棚を眺めていて目についたのが「ダイ・ハード」でした。目的にはぴったりの内容だと思われます。

「ダイ・ハード」シリーズを観たのはずいぶん昔なのでよく覚えていないのですが、たしか三作目くらいまでは観たはずです。四作目は流行を取り入れて 4.0 とかいうモダンなナンバリングになっていますが、さすがにそれはまだ観たことがないはずでした。

4.0 は三作目からかなり時間が経ってから作られたと思うのですが、年老いたブルースウィルスがいくら頑張ってもアクション映画としてはもはや成立しないのではないのか? という懐疑的な思いもあってあまり観たいという気持ちがわいてこなかったんですよね。スタローンの「ロッキー」シリーズとかも回を重ねるごとに老いとの闘いみたいになってきて辛かったですよね。

ナンバリングの表記を見ても、どうせネットやコンピューターに絡めた皮肉めいた内容なんでしょ? という気がしていました。ずいぶん昔にアニメのルパン三世でもそんな内容のエピソードがありましたよね。「バイバイ・リバティー・危機一発!」というタイトルです。あれはなんだか惨めな気持ちにさせられました。アナログな人間が必死になってコンピューターと戦うみたいな……。

さらに昔のスーパーマンの「電子の要塞」は面白かったですよ。今の私がパソコンとかそういうものが好きなのは、子供のころに観たその映画の影響がかなり強いと言ってもいいくらいです。当時の SF の中のコンピューターは万能で夢がありましたね。そのコンピューターの弱点を突いて大金を得ようとしたハッカーの知恵にもあこがれたものです。

時代が進み技術が進歩すると共にコンピューターに対する希望に満ちた夢は、絶望的な悪夢へと変わってゆきます。ターミネーターでは人類滅亡のハルマゲドンとして描かれ、マトリックスでは人間は滅ぼされることはありませんがコンピューターの家畜のように扱われています。今ではインターネットを表す www は悪魔の数字 666 を意味するなんていう都市伝説さえ出てきてすっかり悪者扱いです。

ともかく最初の BD として、今回は「ダイ・ハード 4.0」を借りてきました。

画質はさすがに綺麗です。DVD でも不満はほとんど感じなかったのですが、ワイドモニターの画面いっぱいに広がる高精細なBD の映像は別次元の感動を与えてくれます。

音質は理論的には BDの方が高音質ということになっているのですが、安物のヘッドホンで聴いているので違いはそれほどはっきりとは感じられません。

とにかく映像が綺麗というのが何よりですね。これでレンタル料金は DVD と同じというのですから、BDを借りた方が断然お得です。

「ダイ・ハード 4.0」の内容も思っていたほど悪くはなくて十分に楽しめました。過去三作よりも面白いと言ってもいいくらいですね。アクションもストーリーも最高でした。ブルース・ウィルスは今回もボロボロになりながらも頑張っていました。最初のBD として「ダイ・ハード 4.0」を選んだのは大正解でした。

観終わってからふと思い出したのですが、二十年くらい前にアメリカに留学した時は頻繁に映画館に通って映画を観ていました。その時「ダイ・ハード」も観たような気がするのです。調べてみると時期的には「ダイ・ハード3」が公開されているので、たぶん私が映画館で観たのもそれだったのだと思います。現地の映画館で最初に観た映画が「ダイ・ハード3」だったかもしれません。

留学したての頃は英語もまだほとんど理解できなかったので、映画の内容もセリフからは全く理解していませんでした(当然ながら字幕などあるはずもありません)が、迫力のある映像だけでも十分に楽しめたと思います。一緒に観に行った中国人の友達がお気に入りだったようで、たびたび「ダイ・ハード」と口癖のように言っていたのを思い出しました。無茶な行動のことを「ダイ・ハードのようだ」という意味で言っていたようでした。

私としてはそんなに思い入れのある作品だとは感じていなかったのですが、実はなんとなく縁があって、無意識のうちに今回も最初のBD として「ダイ・ハード 4.0」を選んでいたのかもしれませんね。

おかげで BDを観ることが楽しみになってきました。しばらくはBD で映画を観ることにはまってしまいそうです。


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2016年07月19日

レトロゲームが好き

レトロゲームが好きなんだよね。

WizardryバイオハザードZONEファイナルファンタジー

荒っぽいドット絵や簡素なポリゴンで描画されたグラフィック、個性的なテキストで埋め尽くされた画面。今見たらあまりにも貧弱なそれらの画面には、無限ともいえる優れたゲーム性が秘められていた。

最新技術で作られた高度なゲームはもはやゲームという枠を超えてしまってるような気がして馴染めない。その世界に入り込むために知識や精神力が必要になるので疲れちゃうんだよね。息抜きをしたくてゲームをするのに、かえって疲れてしまうようでは本末転倒だ。

ゲームで遊んでいるというより、ゲームにもてあそばれているようで惨めな気分にもなってくる。

その点、レトロゲームというのはなんだか癒される。

もちろん昔のゲームだって知識や精神力、そして忍耐力も必要だし、むしろ今どきのゲームより複雑で遊ぶためのスキルは今以上に必要だったかもしれない。最近の人から見たらレトロゲームは「難しい」と思う人の方が多いかもしれない。

でもね、一番の違いは、昔のゲームは「遊んでる」っていう感覚があったってところじゃないかな。ゲームはあくまで玩具であって、自分で好きなように遊ぶことができた。その世界に没頭し、自分でイメージを無限に膨らませて楽しむことができた。その余地があったわけ。その「余地」で遊ぶことこそが何より楽しいわけで、癒しでもあったはずなんだよね。心が救われた気分になって元気になれる。そしてまた現実に戻って勉強や仕事も頑張れたわけ。

ところが今どきのゲームはどうだい?

完璧に作りこまれた美しいグラフィックとロジックによって、人々は仮想のもう一つの世界を体験することができるほどにまでなった。プレイヤーはその中で役割を与えられ、それを成し遂げるために必死になって努力をする。自分のルールや世界観を創造して楽しむ余地など一切与えられていない。そんなことをすれば「チート」と呼ばれて犯罪者扱いされ、場合によってはその世界から追放(BAN)されて二度と遊べなくなる。

なんだか、まるで強制労働でもさせられているような、あるいは奴隷として扱われているような、逃げ場のない絶望的な閉塞感に満ちた世界だ。癒しを求めて現実逃避をしたくてゲームをするのに、そのゲームが現実以上にシビアな法律や人間関係でがんじがらめに拘束された息苦しい世界になってしまっている。

剣の8

そこでは完全に人間が機械(コンピューター)に支配されてしまっているのだ。

あまりにも自然に慣らされてしまって気づいていない人も多いかもしれないけど、それってかつては近未来の恐怖として描かれていた映画「ターミネーター」や「マトリックス」のような SF の世界がすでに実現してしまっているってことなんだよね。人々は知らず知らずのうちに魂を吸い取られ、機械の中に閉じ込められてしまっているのだ。

仮想の世界の話だからと真剣に考えないかもしれないけど、実は現実世界の一部をすでにその仮想世界によって浸食され始めている。それが「遊び」と呼べるような人生の「余地」であるうちは良かったのだが、今どきのゲームはまるで「労働」のようであり、そこが人生の中心メインステージとなってしまっているような人たちもいる。

それは決して他人事ではないのだ。

私が最新のゲームに馴染めない理由はそんなところだと思う。

四十歳を過ぎたオッサンが、単なる懐古趣味でレトロゲームが好きだと言っているわけではないと言いたい。空き地で遊ぶ子供たちのように、心が癒され、人生を豊かにしてくれるような楽しいゲームで遊びたい。

開発が進んで空き地がなくなってしまった都会には「近代的な遊び場」は沢山あっても、息苦しさや虚しさばかりを感じてしまうのではないだろうか。


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2016年06月01日

「間」を含めたプロセスをじっくりと味わう

本

占い好きな人はあちこちの電話占い等を何度も利用していたりするのかもしれませんが、そういう慣れている人ほど効率重視でせっかちになっていたりしませんか。

私のタロット占いも音声通話占いやチャット占いでは時間単位の料金設定になっているので、少しでも無駄な時間を省いて短時間で効率的に終わらせたいと思う人もいるでしょう。

例えば、私が何か質問したりすると考えるためにしばらく無言になってしまったりしますが、そういう時間も料金のうちと思ってしまうと落ち着いて考えることもできなくなってしまうでしょう。

本筋から離れた雑談をするのももったいないし、占い師が霊感や直感を働かせようと集中して黙っている時間も長いと感じてしまうかもしれません。

占いが単なるビジネス、あるいは飲食店のような接客業やサービス業と同じだと考えると、客の注文に応えて占いという商品を迅速に提供することが理想だということになるかもしれません。

でもね、私はそうは思っていません。

確かにお金をもらって占いをしている以上は「商売」という側面があるのも確かですが、占いというのはちょっと違うと思うのです。占いは商売である以前に、あくまで「占い」だと思うのです。

占いとは「エンターテインメント」だと考えるとわかりやすいと思います。大道芸やサーカスや舞台演劇のようなものですね。

単に占い結果だけを伝えればよいというビジネスだとしたら、それを舞台演劇に例えると、お客さんに台本だけ渡してそれを読ませるようなものです。演劇を見に来た客は誰一人として、それでは満足できるはずもありません。そんなことのためにお客さんはお金を払って舞台を見に来ているわけではありませんよね。そこで演じる役者や舞台装置、照明、衣装や大道具や小道具などのすべて、そして、そこで共有する一時間か二時間のほんのひと時の夢のような時間そのものに対して、対価としてのお金を払っているわけです。

占いも同じです。相談者の話を聴き、タロットカードを切り混ぜ、カードを並べ、一枚一枚の絵柄に見入りながら相談者と一緒に考え、意味を読み取り、結論を導き出す。そのプロセス全てに意味があるわけです。考えたり雑談をしたりする時間もまた占いの一部です。

質問の答えを考えたり、カードを見つめて瞑想したりするような時間は無駄に思えてしまうかもしれませんが、そのような何もないと思えるような「」こそが最も重要な時間でもあります。役者や芸人さんも「間」を大切にするでしょう。それがないと全てがつまらないものになってしまいます。

ずいぶん前に「間 ‐ space」という記事を書いたことがありますが(日付を見ると今から十年も前の記事ですね!)瞬時にあらゆる情報が伝わるようになってしまった今の時代ではつい忘れがちなことだと思います。

なんでも効率的・合理的に事を済ませばよいというものではありません。非効率的・非合理的な部分に生まれる「ゆとり」のある生活にこそ意味があり、そういう生き方にこそ幸福を感じられるのではないでしょうか。

占いではせっかちに結果ばかりを求めず、「」を含めたそのプロセスをじっくりと味わっていただければと思います。


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2014年09月06日

アニメが犯罪行為に結びつく可能性

本

アニメと犯罪の関係性について「ビートたけしのTVタックル」で議論したことが話題になり大炎上している(どこで?)とかいうニュースを見かけて気になったので、録画された放送をネットで探して観てみました。

確かに炎上してもおかしくない面白い内容でしたが、何とも言えない違和感も感じました。

ロリコン(美少女)や暴力(エロ・グロ)を描いたアニメやゲームが犯罪行為に結びつく可能性があるかどうか、規制すべきかどうかということで議論していたわけですが、一番最初にビートたけしさんが核心を突くようなことを言ってしまいました。

だけど俺の映画はなんでR指定なんだ?

過激な描写のアニメが全く規制されていなくて、なぜ北野武の映画は規制されなきゃならないんだという話ですが、確かにその通り。でも、それにはっきりと答えを出せる人は(番組出演者だけでなく世間一般の多くの人にも)いないのです。この時点でこれ以上議論することが不毛であるといっているようなもので、ある意味、MCであるたけしさんが自ら番組をつぶしてしまったようなものです。ただ、そこはほとんどジョークとしてスルーされて本題に入って行きます。

しょせんはバラエティー(娯楽)番組なので仕方がないとは思いますが、終始ガヤガヤと言い合うだけのまとまりのない議論をしているだけです。見ている方は面白いのでかまわないのですが、出演者を見ていて一つ気になったのは、特に規制反対派の人たちの表情が常に「にやけ顔」だったことです。

彼らはなぜか規制派の人間を嘲笑するような態度で話すのです。たまたまそういう出演者の人選に過ぎなかったのかもしれませんが、なんとなく「自分たちの方がこの世界のことをよく知ってるぞ」とでも言いたげな態度は感じのよいものではありませんでしたね。規制派のことを頭が固くてレベルの低い人間だと見下していたようでした。特に漫画家の江川達也さんは相手の意見を遮って自分の主張ばっかりしているのが感じ悪かったですね。人の意見を聞けない我が儘わがままな人たちの主張が「規制反対」ということだとしたら、そんな人たちの意見に従っていたら世の中カオスになるだけです。

私自身は規制派、規制反対派のどちらの席に座るかと聞かれると迷ってしまいます。規制すべきだとは思うものの、現実的にはそれはとても難しいことだとも思います。逆に規制すべきでないという思いもあるものの、じゃあビートたけしさんの言うように実写の場合だけ規制するというのも納得がいきません。アニメを規制しないのならそれ以外のメディアでも規制はすべきではありません。

アニメと実写は別物だとするなら、美少女アニメのキャラクターに現実同様に恋をしているオタクたちの認識はどう受け止めればよいのでしょう? 彼らにとっては現実同然ならば、やはりアニメも実写同様に規制しなければならないという理屈になります。

そもそもアニメや実写を問わず、性的描写や暴力表現を規制しなければならないという考え方から見直さなければならなくなってきます。

これば別の機会にも書きたいと思っていたことですが、「自身の女性器の3Dデータを頒布はんぷした」とかで逮捕されたろくでなし子(本名: 五十嵐恵)さんの件でも考えさせられたことで、性的表現を規制すべきかどうかというのは非常に難しい問題だと思います。

ろくでなし子さんに言わせれば女性器も自分の手足同様に体の一部であって、いやらしいものでも何でもなく罪悪を感じるものでもないということらしいですが、その主張は理解できます。それは誰にとっても普通のことであって、鼻息を荒くして主張するほどのことでもないと思います。しかし、たとえ自分はそう思っていたとしても、他人にとっては卑猥なものであったり、性的興奮を刺激するものであったりして、法で規制された性的表現と見なされることもあると思います。

少なくともその3Dデータは自分自身で楽しむためのものではなく、他人に渡されてるわけですから、こういう物は「自分がどう思うか」という個人的主張ではなく、「他人がどう思うか」という客観性・公共性の方が重視されるべきなのかもしれません。

ただ、それでも性的表現を規制しなければならない理由は、私にはよくわかりません。「ダメなものはだめだ」と問答無用に言い張るだけでは納得できないし、それが犯罪に結びつくからという根拠も不明です。

その表現の仕方にもよりますが、本来「セックス」という物は異性を愛する気持ちから生まれるものです。その愛があるからこそ男女は結ばれ、子を産み、子孫繁栄し、国家が成り立つようになるわけで、それを否定したり規制するのは人を愛する気持ちを否定するようなものです。愛のない世界ほど虚しいものはありません。

暴力表現については、個人的には嫌いなので否定派と言ってもいいのですが、かといって、映画やアニメの中での暴力表現が必ずしも現実の犯罪行為に結びつくかというとそうとも言い切れません。非現実の中でそれを疑似体験することによって欲求不満を解消したり、暴力の恐ろしさや不当性を理解したりすることによって、現実世界では暴力行為に及ばず理性的で健全な生活を送れるという考え方もあります。

とはいえ、やっぱりヤクザ映画などを観てその世界にあこがれ実際にそういう道に進んでしまったという人もいるかもしれません。「あしたのジョー」を観てボクシングを始めたという人が実際にいるように、「ビーバップハイスクール」を観て喧嘩に明け暮れる日々にあこがれ不良の道に走ってしまった人もいるかもしれません。アニメなどに描かれるアブノーマルな歪んだ性行為を観ることで、それが普通だと感じてパートナーに不愉快な思いをさせていることもあるかもしれません。

理性的な考え方ができる人は、「自分はそんなものには影響されない」と当然のように考えるかもしれませんが、世の中の誰もが理性的に考えることができるわけではないのです。むしろ、メディアの影響を受け、それらを人生の手本としてしまっている人の方が多いのではないでしょうか。「自分は影響されない」と思っている人だって本当は影響されていることを自覚できていないだけだとしたらかえって危険です。

「アンパンマン」のように健全なアニメは子供たちの精神にも良い影響を与えるだろうと誰もが感じるでしょう。アンパンマンがバイキンマンを懲らしめるシーンは明らかに暴力シーンだといえますが、それは「悪いことをしたら罰を受ける」という正当性があるのでまだましでしょう。(私はそれすらも不愉快に思いますけどね。暴力であることには変わりありません。究極的には死刑制度の肯定にもなりかねません。)

しかし、暴力の理由に怒りや憎しみが込められている場合、その影響はあまり良いものではないと思います。いや、「かなり悪い」というべきでしょうか。

TVタックルの中でも紹介されていましたが、「進撃の巨人」というアニメではかなりショッキングな暴力シーンが描かれています。私もこのアニメはTVで放送された分については全話を観ましたが、終始息づまるような不愉快な思いで見続けていました。特に主人公であるエレンという青年のキレっぷりにはあきれてしまいました。

エレンは最初から最後まで、ただひたすら敵である巨人を憎み、復讐することだけを考えていました。その憎しみの感情表現はかなり強烈に描かれており、その究極の形が自らをも巨人と化してしまうという表現であったのかもしれません。(作者がそう意図したわけではないとしても象徴的にはそう見えます。)

このアニメを観た視聴者の多くはエレンに共感し、勇敢に敵に立ち向かう彼の姿をかっこいいと思い、「自分もあんな風に強くなりたい」とあこがれの気持ちを抱くことでしょう。影響されやすく分別のつかない子供たちならなおさらです。

このアニメには熱狂的なファンが多く、その過熱ぶりを見ていると、そんな風にこのアニメに影響された人たちはとても怖いと感じます。もし、彼らのことを少しでも怒らせたりでもしたら、その怒りを晴らすために徹底的に攻撃してくるのではと思ってしまいます。彼らにとってはそれが「かっこいいこと」なのです。復讐こそ正義なのです。

これは私の思い過ごしでしょうか?

たとえ私の思い過ごしにすぎないとしても、やはりあのアニメの表現は許しがたいものがあります。相手を憎む理由があれば、その仕返しをすることが正義だなどという考え方(「やられたらやり返す。倍返しだ!」というセリフが流行したドラマもありましたが)は絶対にしてほしくないと思います。いったい、そのどこに「」があるというのでしょう? あるのは「自己愛」だけであって、それによって生まれるのは殺伐とした不毛な世界だけだと思います。

「進撃の巨人」の世界の中でも人類の世界が滅びかけている理由はそこにあるのかもしれません。彼らは高い塀を築き、必死に自分たちの世界を守っていますが、それはまさしく他人を受け入れようとしない「自己愛」の象徴です。(出演者の江川達也さんの態度に感じた物も同じかもしれません。)

私がこのアニメを嫌な思いをしながらも最後まで観たのは、もしかしたら、主人公のエレンもいつかは自分の過ちに気付き、愛に目覚めるところまで物語の中で描かれるのかもしれないという期待があったからですが、残念ながら現在までに放送されたストーリーにはそのような場面が描かれることはありませんでした。最後の最後まで憎しみだけでした。最終話を観終わったときにはとても残念な気分でした。

原作の漫画の方はまだ続きがあるようで、どのような結末になるのかわかりませんが、せめて読者が救われるような展開にしてほしいと願っています。

そのような暴力に比べれば、まだ性的な描写の方がましです。というか、愛に基づいているのなら推奨すべきものだといってもいいでしょう。それを規制して必死になって覆い隠そうとする態度は理解しがたいとしか言いようがありません。

ただ、美少女アニメなどのキャラクターに恋する感じ方は、見方を変えればある種の暴力でもあるわけで、そういう意味では危険性がないとは言い切れません。

ロリコン趣味のオタクたちは美少女キャラクターを自分の「所有物」と認識しています。擬人化して人間同様に認識しているように見えますが、あくまで「物」を擬人化しているにすぎず、それに人間同様の感情があるとは認識していません。所有物であるそれは、100%自分の思い通りに扱うことができる操り人形でしかないのです。

彼らは自分の「嫁」と称する所有物の生殺与奪の権利すら持っているわけです。その感覚が現実世界と区別がつかなくなてしまったとしたら、目の前に現れた幼女を殺してしまうことも何とも思わないかもしれません。

彼らは美少女キャラクターに対する愛情は現実と変わらないと主張しますが、それは単なる「執着」であって、恋愛感情に非常によく似たそれを愛情だと勘違いしているにすぎません。もし現実の女性に同じ感情をぶつければ確実に破たんするでしょう。彼ら自身も本当はそのことに心の奥底で気づいているからこそ現実の女性に向き合うことができずにアニメのキャラクターに逃げてしまっているのではないでしょうか。

もっともそれは実際の男女の恋愛でも同じです。愛のない執着だけではその恋は実りません。それはお互いに相手から愛情を奪い合う権力闘争のようなもので、喧嘩の絶えないカップルのほとんどがこのパターンにはまってしまっています。

しかし、相手が感情を持たないキャラクターならば喧嘩にもならず、表面的には平和な関係を維持しているように見えます。その擬似的な平和を相思相愛の関係だと勘違いしてしまっているのでしょう。

感情を持たない相手は自分を愛してくれているわけではないのですから、それは一方的な想いにすぎず、実際にはただの執着でしかないのです。愛のない関係からは何も生まれることはありません。

それを国と国の関係でたとえれば、強い国が弱い国を征服して植民地にしているようなもので、一見すると確かに戦争は起こらず平和的に見えますが、そのような関係が決して好ましいものではないことは誰にでも理解できると思います。結局は「力」で支配しているわけですから、私はそれを「見方を変えればある種の暴力」と表現したわけです。

他人に迷惑をかけているわけではないのだから問題はないと思う人もいるかもしれませんが、それは他人に迷惑をかけなければ違法なドラッグをやってもよいと言っているようなものです。ドラッグが規制されているのにはそれなりの理由があるわけで、もしかしたらアニメにも同様の規制は必要だという考え方にもなるかもしれません。

今後アニメが規制される日が来るのかは今の時点では何とも言えない状況ですが、対象がアニメかどうかということよりも、実写や3Dデータ等も含めメディア全体における表現の規制について改めて考え直さなければならない時代になってきているのではないかと感じています。「自由こそ正義」という考え方のほうが古いのかもしれません。頭を柔らかくして考えてみましょう。


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2013年12月17日

アニメ映画「ロード・オブ・ザ・リング 指輪物語」

DVD ロード・オブ・ザ・リング 指輪物語

ツタヤのレンタル会員期間更新の通知が来ていたのでツタヤに行ってきました。更新を済ませると割引券をもらったので、DVD を一枚借りて帰ることにしました。

今回借りてきたのはアニメ映画の「ロード・オブ・ザ・リング 指輪物語」です。1978年に制作されたということなので、今から35年も前の映画ということになります。

古い映画なのであまり期待はしていなかったのですが、思いのほか映像は綺麗でした。

動きが非常に生き生きとしていたのですが、おそらくはディズニーアニメなどと同様に実際の人間の動きをトレースしたものをアニメ化しているようでした。ほぼ実写と思われるような映像も合成されており、独特の雰囲気が出ていました。生々しさではディズニー以上だと思います。

ストーリーや映像は実写版の映画(2001年〜2003年)と非常によく似ており、このアニメをもとに実写版が作られたのではと思われるほどでした。

実写映画の「ロード・オブ・ザ・リング」は重苦しい戦闘シーンが多いので、その点はあまり好きではなかったのですが、このアニメでも戦闘シーンは徹底して描かれていました。

現代の戦争と違い、オークの兵士たちは一人一人が独自の鎧や盾、武器を装備し、人間たちもそれぞれの装備で必死に戦っています。

そのようなシーンを見せつけられているうちに、いろんなことを考えていることに気づきました。

彼らはなぜ戦うのだろうか?

相手を屈服させたいがために武力でねじ伏せようとする。

非常に原始的だとは思うけど、そんな戦争を現代の人間もまだ続けている。(多くの日本人は無関心で平和ボケしているが……。)

今でも世界中で戦争は起きているし、個人レベルでの争いなら日本の中でも、どこにでもある。恋人同士の喧嘩だって同じだ。

それらは、そんな原始的な戦争と何ら変わりがない。

映像は勇敢に戦う人々の勇気を称えるかのようでもありましたが、私には、争うことの愚かさを伝えるために、このような徹底した戦闘シーンが描かれたのではないかと感じられました。

原作が執筆されたのは第二次世界大戦の最中だったと言います。そのような世界情勢の影響も、物語の中に反映されているのでしょう。

私は戦争や争い事は嫌いです。そのような映画もあまり好きではありませんが、そのような映画を観ることで(実際に戦争を体験しなくても)反戦や平和について考えるきっかけとなるのならば、その意義は非常に大きいと思います。

だからこそ、架空世界ファンタジーで戦争を描くことは、とても大切なことなのだと思います。


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2013年08月13日

ホラー映画「フランケンシュタインの逆襲」を観ました

フランケンシュタインの逆襲」というタイトルのDVDをツタヤで借りてきて観ました。1957年の映画だそうです。フランケンシュタインとしては初のカラー作品だそうです。DVDではとても鮮やかなカラー映像で鑑賞することができました。

先日観た「吸血鬼ドラキュラ」に出演していたピーター・カッシングとクリストファー・リーのコンビが出演しているのですが、「フランケンシュタインの逆襲」の方が一年前の作品になります。

ピーター・カッシング演じるフランケンシュタイン男爵は典型的なマッドサイエンティストで、彼が人造人間を作り出す過程が物語の中心になっています。「吸血鬼ドラキュラ」同様に、怪物が主人公として描かれるわけではなく、あくまで人間であるフランケンシュタインが主人公です。

他の作品で見られるフランケンシュタインの物語のイメージは怪物が中心に描かれ、怪物に対する同情心をあおるような演出が多いような気もするのですが、この作品では人間を人造することの善悪を問う内容が中心的なテーマになっているように思われました。

そして、人造人間の怪物(クリーチャー)役がクリストファー・リーなのですが、登場シーンはそれほど多くはなく、出てきても台詞は一言もありません。うめき声や叫び声すらあげていなかったような気がします。しかも、特殊メイクで顔面全てが加工されているので、役者が誰かということはあまり関係ないといってもいいくらいです。クリストファー・リーの魅力を語ってくれと言われても、これを観ただけでは何とも言いようがありません。

この人造人間の怪物とドラキュラを演じていたのが同一人物だったなんて思うと面白いですね。

怪物の顔面のメイクはカラーを生かした生々しいもので、こういうのが苦手な人は正視できないほど不気味な仕上がりになっています。現代の高度な技術の特殊メイクに見慣れた目には安っぽくてリアルさに欠けると思ってしまうかもしれませんが、その安っぽさを大真面目に演出することで最近の映画にはない迫力が醸し出されているようにも思います。古い映画のいいところはそういうところかもしれませんね。

派手な演出や泣かせるような感動的な演出はありませんが、独特の味わいのあるいい映画だと思います。


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2013年07月20日

ホラー映画「吸血鬼ドラキュラ」を観ました

先週に引き続き、ツタヤで借りてきたDVDは「吸血鬼ドラキュラ」です。なかなか観る時間がなくて一週間経ってしまったのですが、今日が返却日なので朝ご飯を食べながら頑張って観ました。いや〜……、この手のスプラッターな映画をお食事しながら観るというのは大きな間違いでしたね。

作品は1958年公開の映画で、先日の「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」よりも十年も前ということになりますが、美しいカラーフィルムの映像は古臭さを全く感じさせませんでした。

ドラキュラ役のクリストファー・リーは最近の映画では「ロード・オブ・ザ・リング」の悪の魔法使いサルマン役で話題になっていたので名前は耳に残っていたのですが、それまでは全く知りませんでした。実はドラキュラ役で大ブレイクした超有名俳優だったんですね。

今回のドラキュラは出演シーンはそれほど多くはなく、主役というよりは悪役のモンスターにすぎないといった印象でしたが、対して実質的な主役ともいえるヴァン・ヘルシング役のピーター・カッシングの存在感はさすがでしたね。役にはまっていてとてもかっこよかったです。

ストーリーは以前にも見たことのある他のドラキュラ映画(1992年版)とほぼ同じで、登場人物の名前なども憶えがあったので、だいたいの展開は読めたのですが、最後のシーンのあっけなさは意外でした。このころのドラキュラは弱かったのねという印象でした。

私にとってはこの作品ですら古典の部類に入るのですが、制作の背景としては1931年の「魔人ドラキュラ」のリメイク的位置づけの作品だということで、ドラキュラ映画の歴史はゾンビ映画なんかよりもはるかに古いんですね。

さて、お次はフランケンシュタインかな? ドラキュラ以前にクリストファー・リーが演じていたというものを観てみたいです。


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2013年07月13日

ホラー映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」の感想

ホラー映画「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」のDVDをツタヤで借りてきて観ました。

ゾンビ映画の原点と言われている作品なので、機会があれば鑑賞してみたいと思っていたんですよね。

先日は「進撃の巨人はゾンビっぽいね」なんて記事も書きましたが、最近では「バイオハザード」シリーズなんかがゾンビ映画としてはヒットしていますね。その前だと「バタリアン」あたりが有名かな? 映画ではないですが、マイケル・ジャクソンの「スリラー」ももちろん原点はここにあるんですよね。

この前、たまたまお出かけ中に雨が降ってきたので雨宿りのつもりでツタヤに駆け込んだのですが、その時にこのDVDを見つけたのでした。

内容は実に古典的で、他のいろんな作品で何度も焼き直しされたシーンを見ているので、新鮮味はありませんでしたが、逆に安心感のようなものがあったりして、最後までしっかりと鑑賞させていただきました。

序盤のシーンからいきなりゾンビが出てきて襲われるのですが、その辺は今どきの作品に比べても展開が速くて意外でしたね。(いや、今どきの作品の方が回りくどい演出が多かったりするかな?)

それから最後までひたすらゾンビの恐怖に耐え続けることになります。劇中ではラジオやテレビで情報を得るという形でゾンビに関する説明が入ったりするわけですが、1968年という時代背景を考えると、非常に斬新だったのではないかという気もします。こういう演出は最近の作品でもよく見られますからね。

この作品でのゾンビの発生原因についてはあまり明確にはなっていないのですが、金星探査機から飛来した放射能が原因ではないかというような話になっていました。

他の作品ではウィルスなどの病原菌が原因だったりすることが多いので、放射能説は意外でしたね。日本の怪獣映画のゴジラと同じようなものですね。

(ちなみに、作品としてはゴジラの方が古いようなので、もしかしたら、放射能説はゴジラからヒントを得たのかもしれませんよ。)

ホラー映画としては王道ともいえる内容なので、文学作品的な難しさもなく、あまり深く考えさせられるようなこともないので、純粋にハラハラドキドキ感を楽しめばよいと思います。

ハッピーエンドというわけではないのですが、観終わった後には何とも言えない安心感があります。うまく表現ができませんが、古典映画ならではの感覚かもしれませんね。

この後DVDを返しにツタヤに行ってきますが、また何か古典的なホラーでも借りてこようかと思います。しばらくは古典ホラーにはまりそう。次は何がいいかな?


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2011年11月23日

アニメ「GANTZ」の感想

ツタヤでたまたま見かけた実写映画のプロモーションビデオが気になってレンタルDVDの棚を見ていると、同じタイトルのアニメ版も見つけました。GANTZ(ガンツ)というアニメなのですが、こちらはTVシリーズで全26話、十二巻のDVDに収められていました。実写映画の方は新作扱いだったので、とりあえず旧作扱いのアニメの方を試しに観てみることにしました。私がいつも利用しているツタヤは旧作なら一本100円で借りることができるのです。

最初は一巻だけ借りてきて観たのですが、まったくもって意味不明の展開で、わけがわからな過ぎて、予想もつかない展開に興味をそそられる前に飽きてしまうところでした。

でもまあ、絵も綺麗だし、アニメとしてのクオリティーは高そうだったし、ちょっとなところもあって、暇つぶしに観るのも悪くはなさそうです。他に借りたいビデオがあったわけでもなかったので、もう少し観てみようかなと思って続きを借りてきてしまいました。

そこから先は観だすと止まらなくて、一気に最終回まで観ちゃいました。

感想は素直に面白かったと言ってもいいですね。ただ、エロ・グロ・暴力の描写がかなりきついです。エロはともかくグロの方は直視できないほどきついものが頻繁に出てきます。このアニメを誰にでもお勧めできるかというと、ちょっと躊躇してしまいます。

グロテスクな描写以上に、緊迫した雰囲気というか、救いようのない雰囲気とでもいうようなものもひたすら続くので、さすがに私も限界で、もう観たくないと思ってしまうほどでした。実際、何度も繰り返して観るだけの元気は出てきません。いや、当分観たくないですね。

ラストは評価が別れそうな感じではありましたが、私の場合は原作や実写版などには一切ノータッチで先入観もなかったので、これはそういうアニメなんだと素直に受け止めました。

ラストに向けてアニメオリジナルの伏線があちこちに最初からちりばめられていたみたいなのですが、そうして紡ぎあげられてゆく物語のテーマは最終的に「出られない迷宮はない」というセリフに集約されてゆきます。

どんなに困難な状況にあっても、頑張って出口を探せばきっとそこから抜け出せるという様な、そんなお話です。

余談ですが、私が好きなゲームの一つにウィザードリィ(Wizardry)というRPGゲームがあるのですが、このゲームはひたすら迷宮をさまようことになるゲームで、その閉塞感と、死と隣り合わせの緊迫感はGANTZの雰囲気にも通じる物があります。そういったところも私がGANTZに惹かれた一因かもしれません。

こういったテーマに真剣に向き合って、いい作品を作ろうとしている制作者の皆さんの心意気みたいなものがバンバンと伝わってきて、それゆえの妥協のないエロ・グロ・暴力であって、きれいごとで済まそうとしたりしないからこそ感動するんだろうなぁと思いました。

制作者の皆さんも、まさにGANTZの試練に立ち向かうかのごとく困難な仕事を成し遂げ、見事出口を見つけられたのではないでしょうか。こういったテーマを提示する立場にある者として、そこに、嘘はないと思います。

誰にでもお勧めできるわけではないけれど、観るべき価値のあるアニメだと思います。少なくとも私は、感動しました。

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2011年08月30日

八景島シーパラダイスで遊んできました

本

天気が良かったので八景島シーパラダイスというところに遊びに行ってきました。大きな水族館のあるところで、イルカのショーなども観ることができます。

ショーを観に行くと、大きなプールの中に二頭のジンベイザメが泳いでいました。サメといっても歯がまったくなく鯉のような口をパクパクして泳いでいて、時々小魚をもらって食べていました。特に芸ができるわけではないのですが、その巨大な姿にまず圧倒されてしまいました。

セイウチやアシカなども出てきて芸を披露していましたが、芸の内容よりも、普段見慣れない奇妙な姿の動物に見入ってしまいました。手はヒレになっているし、足もほとんど退化してしまってヒレになっているのですが、そんな体をくねくね動かして地上を動き回っている彼らの姿は、なんとも不思議なものでした。このような動物を見るのは初めてというわけではないのですが、改めてその姿の不思議さを実感しました。

やはり華やかなのはイルカたちのショーでしたが、中でも白いイルカの姿には感動しました。まだ子供だというのにとても体が大きく、他のイルカたちのように高くジャンプしたりするような派手な芸はできませんが、優雅に泳ぐその姿はとても美しく、やさしく愛らしいその表情には癒されます。かなり間近で見ることができたのですが、イルカというものがこんなにも体が大きいとは思っていませんでした。

ショーの時間に合わせてあいている時間に水族館などを見て回っていましたが、山育ちの私には海の生物というのはどれもみな奇妙で、奇怪で、不思議なものばかりでした。いつも食べてるイワシやイカですら、泳いでいる姿を見るのは面白いものです。

亀や鯉やアヒルのいる池の脇に餌の販売機があったので、一つ買って与えてみました。何の餌なのか良くわからないのですが、そこにいる動物ならどれでも食べられるようでした。池の中に餌を放り込むと食い意地の張った鯉がパクリとすぐに飲み込んでしまうのですが、とろとろと泳いで来ては口をパクパクとあけて必死に餌を食べようとする亀はなかなか食べられません。しょうがないので亀の口のそばまで手を伸ばして餌を差し出すと、亀は私の指も一緒に食いついて餌を食べました。鋭い歯はないものの、かなり堅い口で噛み付かれるので結構痛かったです。

時間をもてあましていたので、フリーフォールに乗って遊んだり、手相占いのブースで占いをしてもらったりもしました。

強い日差しの中、半日かけて遊びまわっていましたが、とても楽しかったです。

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posted by アポロ at 23:56 | Comment(0) | TrackBack(0) | エンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする