2017年07月12日

「今」を刻んでいますか?

日々の生活の中で、自分自身の体験として積み重ねられてゆく何気ない思い出。そんな思い出こそ大切に、そして忘れないでほしいと思います。

棒の8

今の時代は誰もが無意識のうちに大量の情報にさらされています。見たり聞いたりするつもりがなくても、知らず知らずのうちにどんどん情報が入ってくるでしょう。

スマホの画面にくぎ付けでLINEやツイッターやフェイスブックなどのSNSのチェックを怠らず、分刻み、あるいは秒単位で新しい情報がどんどん入ってきます。そんな新しい情報や友達からのメッセージにさらされていることが快感でやめることができません。情報が遮断されるのは呼吸ができなくなるのと同じで、死にそうになるくらいの禁断症状に苦しむことになりかねません。

それらの情報の大半は記憶に残ることなく、次々と押し寄せてくる情報の波に押し流されて消えてゆきます。新しい情報を取り入れるためには古い情報を捨てなければなりません。人間の記憶容量は無限ではないのです。そこで、外部記憶(ネット)に依存することになります。

沢山の情報が自分の目の前にあるという自覚はあるので、なんとなく自分は何でも知っているというような錯覚をしている人も多いことでしょう。知らないことはスマホでネットにアクセスして(もはやそんな自覚すらないかもしれませんが)検索すればすぐにわかるので、知らないことはない(わからないことはない)と思い込んでいるのです。

人前で「知らない」と言うことが恥ずかしいとすら思っているでしょう。本当は「知っている」というのは「調べればわかる」というだけのことであって、実は「何も知らない」というのが真実かもしれません。

誰もがただ「知ってるつもり」でいるだけなのです。

昔、そんなタイトルのテレビ番組がありました。ほんの十数年ほど前までは、日常のちょっとした疑問をテーマにしたテレビ番組がたくさん作られていましたよね。でも、今はそういう番組が少なくなってきたような気もします。作っても観ないんでしょうね。視聴率が取れないんだと思います。みんなこう思ってますよ。

「そんなこと調べればすぐにわかるよ。」

自分の方が詳しく知っている(つもり)だからテレビなんか観ない。ネット(スマホ)さえあれば幸せ? OK Google とか Siri とかコルタナさんですか。

調べればすぐにわかるし、調べてわかったつもりでいます。でも、そう思えるのはその時だけで、そのような知識は長期記憶として残らずにすぐに忘れてしまいます。記憶として残る前に次の情報が押し寄せてどんどん上書きしていってしまうからです。

そんなことを繰り返しているうちに、いつの間にか自分は「何でも知っているつもりで何も知らない人間」になってしまいます。結局、中身は空っぽなんです。

そんな人生は、ただむなしいだけです。

知らないことは知らないままでいい。わからないことはわからないままでいい。無理に調べようとせず、ただありのままを受け入れればいい。

世の中で何が起きていようと気にすることはありません。今、自分の目の前で、自分の身に起きていることこそが大事なのです。

他人がSNSに載せている料理の写真を見て「めしテロだ!」なんて文句を言いつつ話のネタにするのも楽しいかもしれませんが、そんなバカ騒ぎはいつか虚しいと思う時が来るだけです。思い出に残ることなど何もないでしょう。

そんなことよりも、母親や奥さんが(あるいは旦那さんが)作ってくれた朝食……いつもと変わらないごく平凡な食事であっても、それに感謝してしっかりとかみしめ、味わって食べてみましょう。それがかけがえのない思い出となり、家族の絆となっていつまでも心の奥に残ってゆくのです。幸せな人生とはそういうものでしょう。

一人暮らしだから寂しいだなんて思うことはありません。寂しいと思うのは、自分の生き方にしっかりと向き合っていないからです。他人を見てうらやましいとか、そんなことばかり考えているから寂しくなるのでしょう。

自分一人で作ったご飯とみそ汁だけの朝食だっていいじゃないですか。お米を作ってくれた農家の方に感謝する気持ちがあれば、それだけで幸せな気分になるものです。そういう気持ちを忘れているから孤独で寂しい日々を過ごすことになるのです。

余計な情報を遮断して日々の出来事にしっかりと向き合っていれば、その出来事のすべてが大切な思い出として胸の内に刻まれてゆくことになります。そうして刻まれた沢山の思い出があれば、虚しい人生を過ごすことなど決してないでしょう。


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posted by アポロ at 19:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
はじめまして。
少し前のタロット占いの質問へのお返事の記事が見つからなかったので
こちらから失礼します。

わたしもときどき自分でタロットをするのですが
当たり外れを気にしすぎていることに気づきました。

また、占いは心を豊かにするものとされながらも
競馬を例に挙げた「占いはあたらない」というお話には
「そんなこと言ってしまっていいの?」と驚きましたが
わたし自身の占いも当たらないし、納得でした。

多額のお金を使って、同じことを何人もの占い師に占ってもらって
その結果から「当たる占い師」を探している友人が浮かびました。

依存せず、占いと上手に付き合うことのむずかしさを改めて感じます。
Posted by なつ at 2017年07月16日 05:50
なつさん、コメントありがとうございます。
先日のタロット占いの質問への回答は以下の記事になるかと思います。
http://www.freeml.com/tarot/2711

頼るべき優れた占い師はそう多くはないでしょうが、そういう占い師が必ずしも「当たる」というわけではないので、当たり外れを基準に占い師を評価していても決して良い占い師に巡り合うことはないでしょう。
そういうことをもっと多くの人に伝えられたらと思うのですが、人間の弱みに付け込み「当たる」ことこそが優れた占い師だと主張する人たちがあまりに多すぎるので、なかなか世間のイメージは覆りませんね。
イエスや釈迦などの聖者や覚者などと呼ばれた人たちは何千年も昔から、そういう人たちのことを「悪魔」と呼んでいましたけどね。
今の世の中は、隣に悪魔がいてもそれが当たり前のこととして受け入れてしまっているようです。
Posted by アポロ at 2017年07月16日 13:32
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