2015年12月07日

気持ち好いから善いことをしろ?

本

今どきの道徳の教科書には「善いことをすると気持ちが好いでしょう」と書いてあるそうな。だから善いことをしましょうという教え方。

電車の中で座っている自分の目の前にお年寄りが立っていたら席を譲るかどうかという場面での問いかけで、正解はもちろん「席を譲る」というのが道徳的には「善いこと」になるわけです。席を譲れば気持ちが好いでしょう。だから善いことをしましょう?

一見すると正論のようだけど、こういう教え方は必ずその子の人生を間違った方向へと導くことになります。

「気持ち好いから善いことをしろ」ということは、自分の主観的な感覚で「気持ちが好い」ということが絶対的な判断基準となってしまいます。

だとすれば、「気持ち好いからマリファナ吸ってみよう」とか、「気持ち好いからこの銃で人を撃ってみよう」という考え方も正しいということになるでしょう。

現に、実体験はなくともゲームやアニメ、映画などに出てくるそういうシーンを観て「気持ちよさそう」と感じ、実際に行動してしまって取り返しのつかない犯罪行為を犯してしまったような人もいます。

原因は、学校での道徳教育でこういういいかげんな教え方をしているからではないでしょうか。

善いことをするのは気持ちが好いからではありません。必ずしも「善いこと」だけが気持ち好いとは限らないのです。むしろ、道徳に反した欲望のままの行動の方がよっぽど気持ち好かったりします。そういう行動を抑える気持ちを養うことが本当の道徳なのではないでしょうか?

お年寄りに席を譲って気持ちが好いと感じたのはなぜでしょうか? 気持ちよくなりたくて善いことをしたからでしょうか? そうではありません。辛い思いをして立っていたお年寄りを助けてあげたからです。つまり、自分が気持ちよくなりたくて善いことをしたわけではなく、お年寄りを助けるために席を譲ったのです。誰かのために何かをしてあげることができたから気持ちが好いのです。

人は一人で生きてゆくことはできません。自分は常に周りにいる誰かの支えによって生きています。そして、自分もまた他の誰かの支えになるのです。そうやって人間はお互いに支え合いながら生きているのです。生きるとはそういうことです。

その生きる意味に気づかせることのできる道徳教育であってほしいと思います。

人に助けられたら感謝し、誰かを助けることに喜びを感じる。こんなことは本当なら教えなければならないことではなく、誰もが自然に学ぶものです。でも、今の世の中はそういうことを学ぶ環境に恵まれていなかったりするかもしれません。それを補うための道徳教育であれば有意義と言えるでしょう。


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タグ:欲望 感謝 道徳
posted by アポロ at 19:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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