2014年09月06日

アニメが犯罪行為に結びつく可能性

本

アニメと犯罪の関係性について「ビートたけしのTVタックル」で議論したことが話題になり大炎上している(どこで?)とかいうニュースを見かけて気になったので、録画された放送をネットで探して観てみました。

確かに炎上してもおかしくない面白い内容でしたが、何とも言えない違和感も感じました。

ロリコン(美少女)や暴力(エロ・グロ)を描いたアニメやゲームが犯罪行為に結びつく可能性があるかどうか、規制すべきかどうかということで議論していたわけですが、一番最初にビートたけしさんが核心を突くようなことを言ってしまいました。

だけど俺の映画はなんでR指定なんだ?

過激な描写のアニメが全く規制されていなくて、なぜ北野武の映画は規制されなきゃならないんだという話ですが、確かにその通り。でも、それにはっきりと答えを出せる人は(番組出演者だけでなく世間一般の多くの人にも)いないのです。この時点でこれ以上議論することが不毛であるといっているようなもので、ある意味、MCであるたけしさんが自ら番組をつぶしてしまったようなものです。ただ、そこはほとんどジョークとしてスルーされて本題に入って行きます。

しょせんはバラエティー(娯楽)番組なので仕方がないとは思いますが、終始ガヤガヤと言い合うだけのまとまりのない議論をしているだけです。見ている方は面白いのでかまわないのですが、出演者を見ていて一つ気になったのは、特に規制反対派の人たちの表情が常に「にやけ顔」だったことです。

彼らはなぜか規制派の人間を嘲笑するような態度で話すのです。たまたまそういう出演者の人選に過ぎなかったのかもしれませんが、なんとなく「自分たちの方がこの世界のことをよく知ってるぞ」とでも言いたげな態度は感じのよいものではありませんでしたね。規制派のことを頭が固くてレベルの低い人間だと見下していたようでした。特に漫画家の江川達也さんは相手の意見を遮って自分の主張ばっかりしているのが感じ悪かったですね。人の意見を聞けない我が儘わがままな人たちの主張が「規制反対」ということだとしたら、そんな人たちの意見に従っていたら世の中カオスになるだけです。

私自身は規制派、規制反対派のどちらの席に座るかと聞かれると迷ってしまいます。規制すべきだとは思うものの、現実的にはそれはとても難しいことだとも思います。逆に規制すべきでないという思いもあるものの、じゃあビートたけしさんの言うように実写の場合だけ規制するというのも納得がいきません。アニメを規制しないのならそれ以外のメディアでも規制はすべきではありません。

アニメと実写は別物だとするなら、美少女アニメのキャラクターに現実同様に恋をしているオタクたちの認識はどう受け止めればよいのでしょう? 彼らにとっては現実同然ならば、やはりアニメも実写同様に規制しなければならないという理屈になります。

そもそもアニメや実写を問わず、性的描写や暴力表現を規制しなければならないという考え方から見直さなければならなくなってきます。

これば別の機会にも書きたいと思っていたことですが、「自身の女性器の3Dデータを頒布はんぷした」とかで逮捕されたろくでなし子(本名: 五十嵐恵)さんの件でも考えさせられたことで、性的表現を規制すべきかどうかというのは非常に難しい問題だと思います。

ろくでなし子さんに言わせれば女性器も自分の手足同様に体の一部であって、いやらしいものでも何でもなく罪悪を感じるものでもないということらしいですが、その主張は理解できます。それは誰にとっても普通のことであって、鼻息を荒くして主張するほどのことでもないと思います。しかし、たとえ自分はそう思っていたとしても、他人にとっては卑猥なものであったり、性的興奮を刺激するものであったりして、法で規制された性的表現と見なされることもあると思います。

少なくともその3Dデータは自分自身で楽しむためのものではなく、他人に渡されてるわけですから、こういう物は「自分がどう思うか」という個人的主張ではなく、「他人がどう思うか」という客観性・公共性の方が重視されるべきなのかもしれません。

ただ、それでも性的表現を規制しなければならない理由は、私にはよくわかりません。「ダメなものはだめだ」と問答無用に言い張るだけでは納得できないし、それが犯罪に結びつくからという根拠も不明です。

その表現の仕方にもよりますが、本来「セックス」という物は異性を愛する気持ちから生まれるものです。その愛があるからこそ男女は結ばれ、子を産み、子孫繁栄し、国家が成り立つようになるわけで、それを否定したり規制するのは人を愛する気持ちを否定するようなものです。愛のない世界ほど虚しいものはありません。

暴力表現については、個人的には嫌いなので否定派と言ってもいいのですが、かといって、映画やアニメの中での暴力表現が必ずしも現実の犯罪行為に結びつくかというとそうとも言い切れません。非現実の中でそれを疑似体験することによって欲求不満を解消したり、暴力の恐ろしさや不当性を理解したりすることによって、現実世界では暴力行為に及ばず理性的で健全な生活を送れるという考え方もあります。

とはいえ、やっぱりヤクザ映画などを観てその世界にあこがれ実際にそういう道に進んでしまったという人もいるかもしれません。「あしたのジョー」を観てボクシングを始めたという人が実際にいるように、「ビーバップハイスクール」を観て喧嘩に明け暮れる日々にあこがれ不良の道に走ってしまった人もいるかもしれません。アニメなどに描かれるアブノーマルな歪んだ性行為を観ることで、それが普通だと感じてパートナーに不愉快な思いをさせていることもあるかもしれません。

理性的な考え方ができる人は、「自分はそんなものには影響されない」と当然のように考えるかもしれませんが、世の中の誰もが理性的に考えることができるわけではないのです。むしろ、メディアの影響を受け、それらを人生の手本としてしまっている人の方が多いのではないでしょうか。「自分は影響されない」と思っている人だって本当は影響されていることを自覚できていないだけだとしたらかえって危険です。

「アンパンマン」のように健全なアニメは子供たちの精神にも良い影響を与えるだろうと誰もが感じるでしょう。アンパンマンがバイキンマンを懲らしめるシーンは明らかに暴力シーンだといえますが、それは「悪いことをしたら罰を受ける」という正当性があるのでまだましでしょう。(私はそれすらも不愉快に思いますけどね。暴力であることには変わりありません。究極的には死刑制度の肯定にもなりかねません。)

しかし、暴力の理由に怒りや憎しみが込められている場合、その影響はあまり良いものではないと思います。いや、「かなり悪い」というべきでしょうか。

TVタックルの中でも紹介されていましたが、「進撃の巨人」というアニメではかなりショッキングな暴力シーンが描かれています。私もこのアニメはTVで放送された分については全話を観ましたが、終始息づまるような不愉快な思いで見続けていました。特に主人公であるエレンという青年のキレっぷりにはあきれてしまいました。

エレンは最初から最後まで、ただひたすら敵である巨人を憎み、復讐することだけを考えていました。その憎しみの感情表現はかなり強烈に描かれており、その究極の形が自らをも巨人と化してしまうという表現であったのかもしれません。(作者がそう意図したわけではないとしても象徴的にはそう見えます。)

このアニメを観た視聴者の多くはエレンに共感し、勇敢に敵に立ち向かう彼の姿をかっこいいと思い、「自分もあんな風に強くなりたい」とあこがれの気持ちを抱くことでしょう。影響されやすく分別のつかない子供たちならなおさらです。

このアニメには熱狂的なファンが多く、その過熱ぶりを見ていると、そんな風にこのアニメに影響された人たちはとても怖いと感じます。もし、彼らのことを少しでも怒らせたりでもしたら、その怒りを晴らすために徹底的に攻撃してくるのではと思ってしまいます。彼らにとってはそれが「かっこいいこと」なのです。復讐こそ正義なのです。

これは私の思い過ごしでしょうか?

たとえ私の思い過ごしにすぎないとしても、やはりあのアニメの表現は許しがたいものがあります。相手を憎む理由があれば、その仕返しをすることが正義だなどという考え方(「やられたらやり返す。倍返しだ!」というセリフが流行したドラマもありましたが)は絶対にしてほしくないと思います。いったい、そのどこに「」があるというのでしょう? あるのは「自己愛」だけであって、それによって生まれるのは殺伐とした不毛な世界だけだと思います。

「進撃の巨人」の世界の中でも人類の世界が滅びかけている理由はそこにあるのかもしれません。彼らは高い塀を築き、必死に自分たちの世界を守っていますが、それはまさしく他人を受け入れようとしない「自己愛」の象徴です。(出演者の江川達也さんの態度に感じた物も同じかもしれません。)

私がこのアニメを嫌な思いをしながらも最後まで観たのは、もしかしたら、主人公のエレンもいつかは自分の過ちに気付き、愛に目覚めるところまで物語の中で描かれるのかもしれないという期待があったからですが、残念ながら現在までに放送されたストーリーにはそのような場面が描かれることはありませんでした。最後の最後まで憎しみだけでした。最終話を観終わったときにはとても残念な気分でした。

原作の漫画の方はまだ続きがあるようで、どのような結末になるのかわかりませんが、せめて読者が救われるような展開にしてほしいと願っています。

そのような暴力に比べれば、まだ性的な描写の方がましです。というか、愛に基づいているのなら推奨すべきものだといってもいいでしょう。それを規制して必死になって覆い隠そうとする態度は理解しがたいとしか言いようがありません。

ただ、美少女アニメなどのキャラクターに恋する感じ方は、見方を変えればある種の暴力でもあるわけで、そういう意味では危険性がないとは言い切れません。

ロリコン趣味のオタクたちは美少女キャラクターを自分の「所有物」と認識しています。擬人化して人間同様に認識しているように見えますが、あくまで「物」を擬人化しているにすぎず、それに人間同様の感情があるとは認識していません。所有物であるそれは、100%自分の思い通りに扱うことができる操り人形でしかないのです。

彼らは自分の「嫁」と称する所有物の生殺与奪の権利すら持っているわけです。その感覚が現実世界と区別がつかなくなてしまったとしたら、目の前に現れた幼女を殺してしまうことも何とも思わないかもしれません。

彼らは美少女キャラクターに対する愛情は現実と変わらないと主張しますが、それは単なる「執着」であって、恋愛感情に非常によく似たそれを愛情だと勘違いしているにすぎません。もし現実の女性に同じ感情をぶつければ確実に破たんするでしょう。彼ら自身も本当はそのことに心の奥底で気づいているからこそ現実の女性に向き合うことができずにアニメのキャラクターに逃げてしまっているのではないでしょうか。

もっともそれは実際の男女の恋愛でも同じです。愛のない執着だけではその恋は実りません。それはお互いに相手から愛情を奪い合う権力闘争のようなもので、喧嘩の絶えないカップルのほとんどがこのパターンにはまってしまっています。

しかし、相手が感情を持たないキャラクターならば喧嘩にもならず、表面的には平和な関係を維持しているように見えます。その擬似的な平和を相思相愛の関係だと勘違いしてしまっているのでしょう。

感情を持たない相手は自分を愛してくれているわけではないのですから、それは一方的な想いにすぎず、実際にはただの執着でしかないのです。愛のない関係からは何も生まれることはありません。

それを国と国の関係でたとえれば、強い国が弱い国を征服して植民地にしているようなもので、一見すると確かに戦争は起こらず平和的に見えますが、そのような関係が決して好ましいものではないことは誰にでも理解できると思います。結局は「力」で支配しているわけですから、私はそれを「見方を変えればある種の暴力」と表現したわけです。

他人に迷惑をかけているわけではないのだから問題はないと思う人もいるかもしれませんが、それは他人に迷惑をかけなければ違法なドラッグをやってもよいと言っているようなものです。ドラッグが規制されているのにはそれなりの理由があるわけで、もしかしたらアニメにも同様の規制は必要だという考え方にもなるかもしれません。

今後アニメが規制される日が来るのかは今の時点では何とも言えない状況ですが、対象がアニメかどうかということよりも、実写や3Dデータ等も含めメディア全体における表現の規制について改めて考え直さなければならない時代になってきているのではないかと感じています。「自由こそ正義」という考え方のほうが古いのかもしれません。頭を柔らかくして考えてみましょう。


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posted by アポロ at 02:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | エンタメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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