2015年12月31日

申年のタロットカードは「\ 隠者」

タロットカード: 隠者

2016年の干支(十二支)は申年さるどしですが、対応するタロットカードは「\ 隠者」になります。詳しくは「十二支とタロットカード(タロット占い講座)」をご覧ください。

個人ごとの一年のタロットカード(イヤーカード)は「ライフタイム・イヤーカード・グラフ(タロット占い講座)」を参考に自分で調べてみてください。一年の目標を立てたりするヒントにしてみるといいと思います。


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2015年12月24日

子供にしか味わえない感動がある

本

子供のころには見えた物が大人になると見えなくなってしまったり、子供のころには聞こえていた音が大人になると聞こえなくなってしまったりすることがあります。

ピーターパンとかサンタクロースがいるとかいないとかいうようなファンタジーのお話ではありません。現実に老いが五感の働きを衰えさせてしまうというお話です。私自身も四十路を越え、体のあちこちに衰えを感じています。

年を取るとだんだんと高い周波数の音は聞こえなくなってくるそうです。音楽などを聴いているとあまり自覚はないものの、もし若いころに同じ曲を聴いたら今とは違う感じ方をするのかな? と思ったりもします。

このくらいの年になると老眼が気になる人も増えてくるでしょう。色彩感覚も衰えて何もかも色あせて見えてきてしまったり……。

子供のころに見た絵本の記憶も残っていますが、同じ絵本を今見たら全く違って見えるかもしれません。

子供のころにしか聞こえない音、子供のころにしか見えない色があるならば、それらを見たり聞いたりしたときの感動は子供のころにしか味わえないということですよね。そうやって子供たちは独自の感性を養ってゆくことができるのだと思います。

同じ感動は大人には味わえないでしょう。大人には大人の感じ方があるので、必ずしも感動は子供だけのものというわけではありませんが、大人になってから慌ててても決して取り戻せないものがあるのです。

だからこそ、子供のうちから美しい風景や絵画を見たり、生演奏の音楽や自然の音を聴いたりすることはとても大切なことだと思います。

目や耳だけではなく、匂いや味、手触りなど、五感で感じられるものすべてが貴重な体験となります。

今の時代、技術の進歩によってあらゆるものを疑似的に体験することが可能になってきましたが、その疑似的な体験は子供たちに歪んだ感性を養わせてしまうことになりかねないので大変危険だと思います。

例えば、音楽などは携帯音楽プレーヤーで MP3AAC などの圧縮されたデジタル音源を聴くことが当たり前になっていますが、それらの音源は生の音に比べると非常に多くの音の成分が削り取られてしまっています。高い周波数の音は最初からカットされていたりするので子供が聴いても大人が聴いても全く同じように聴こえてしまうものもあります。圧縮されていないCDの音源であってもデジタル化された時点で多くの情報が抜け落ちてしまっています。それは今話題のハイレゾ音源であっても同じです。どんなに高音質であっても生の音をそのまま再現することは不可能なのです。

音楽を聴くなら、コンサートホールなどで生の演奏をその場で聴くのが最高の体験となります。私もめったに生演奏を聴く機会がないのですが、たまにそういう経験をするとあまりの音の違いにびっくりしてしまいます。音楽とは本来こういうものなのだと改めて実感させられます。ヘッドホンで聴くような音楽は、それがたとえどんなに高級なオーディオ機器を使用していようともしょせんは偽物です。本物の音楽は体全体で感じるものです。

そんなに気負わなくても外に出れば自然界には様々な音があふれています。耳をすませば小鳥のさえずり、虫たちの合唱、風のささやき、大地の唸り、雷の響き……そんなごくありふれた自然の音にちょっと意識を傾けてみるだけでもいいのです。虫の声などは周波数が高いので大人になるとだんだんと聞こえなくなってきます。ごく日常のありふれた音にすぎませんが、そんな些細なことでも子供のころにしっかりと体験しておくことが大切なのです。

デジタル音源は、たとえCDやハイレゾ音源であっても加工食品のようなものです。加工食品ばかり食べていたら体に悪いでしょう。

食べ物も子供が好きなものだけを食べさせていたら大人になって味がわからなくなってしまいます。甘みだけでなく渋みや苦みといったいろんな味の体験は子供のころにしておくことが大切です。

味覚や嗅覚は健康にも影響が大きいので、健康に育つためには子供のころにしっかりと養っておくべきでしょう。年を取ってから成人病で苦しむような人は子供のころから食生活に問題があるような人が多いのではないでしょうか。

子供同士で喧嘩することも必要な体験です。お互いに追いかけまわし、逃げ回り、必死になって走ることで環境になじみ、体の使い方を覚えます。殴り合いの喧嘩をすれば痛みを体で覚えます。そうやって人との適切な関わり方も学ぶでしょう。子供のころに喧嘩をしたことがないような人ほど大人になってから恋人や家族に対して手加減なしに暴力をふるうようなDV行為に及んだり、反社会的な犯罪行為に走ったりしてしまうのではないでしょうか。

今どきの親たちは子供たちが喧嘩をするようなことがないようにかなり気を使っているようで、いじめ問題などにもかなり過敏に反応していますが、そんな過保護で甘い育て方をしているからかえって世の中が歪んでしまうのです。子供たちは喧嘩をしながら育つ方がよっぽど健全です。

土にまみれ、草木に触れ、昆虫やミミズや蛇や魚と戯れる。そうやって子供たちは命の大切さを学びます。そういうことは家の中にこもってゲームをしたりテレビを見たりして過ごしていたら学ぶことができないのです。

最近のゲームはとてもよくできていて、実写かと思うほどリアルな描画が可能になっていますが、そんな作り物の風景を見て育つことが健全だと言えるでしょうか? 仮想世界も現実と変わらないくらいリアルになれば、その疑似体験で十分だと思いますか?

ゲームの中でひたすらモンスターを虐待し続けたり、オンラインの友達と会話をしたりすることが本当のコミュニケーションだと言えるでしょうか?

自分の拳で殴り合いもできないようなオンラインの距離感で付き合っても本当の人間関係など築けません。どこかに歪みが生じ、いずれは異常な犯罪行為に発展しかねません。

何より五感で感じ取れる体験が大切なのです。そうした体験は本来であれば子供の成長の過程で自然に経験してゆくものなのでしょうけど、複雑な現代社会の環境ではなかなかそれができなかったりします。放っておいても子は育つなどとも言いますが、やはり大人たちがある程度は導いてあげることも必要だと思います。

大人になってから気付いても遅いのです。子供たちの健全な未来のために、大人の私たちが上手に導いて、子供たちに上質な体験をさせてあげたいですね。

タロットカード: カップの6


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2015年12月20日

死にたければその日が来るまでただ待てばよい

人は死のうと思っても簡単には死ねない。

死にたくなくても簡単に死ぬ。

だから、死ぬことを考えながら生きるよりも、命を大切にする生き方をした方がよっぽど有意義な人生を送れるだろう。

自ら死のうとすることはエネルギーの浪費でしかない。

あなたの命は、死神が刈り取ってくれる日までは、自ら断つ必要はない。

その日を、ただ待つだけでよいのだ。

タロットカード: 死神


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タグ:死神
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2015年12月07日

気持ち好いから善いことをしろ?

本

今どきの道徳の教科書には「善いことをすると気持ちが好いでしょう」と書いてあるそうな。だから善いことをしましょうという教え方。

電車の中で座っている自分の目の前にお年寄りが立っていたら席を譲るかどうかという場面での問いかけで、正解はもちろん「席を譲る」というのが道徳的には「善いこと」になるわけです。席を譲れば気持ちが好いでしょう。だから善いことをしましょう?

一見すると正論のようだけど、こういう教え方は必ずその子の人生を間違った方向へと導くことになります。

「気持ち好いから善いことをしろ」ということは、自分の主観的な感覚で「気持ちが好い」ということが絶対的な判断基準となってしまいます。

だとすれば、「気持ち好いからマリファナ吸ってみよう」とか、「気持ち好いからこの銃で人を撃ってみよう」という考え方も正しいということになるでしょう。

現に、実体験はなくともゲームやアニメ、映画などに出てくるそういうシーンを観て「気持ちよさそう」と感じ、実際に行動してしまって取り返しのつかない犯罪行為を犯してしまったような人もいます。

原因は、学校での道徳教育でこういういいかげんな教え方をしているからではないでしょうか。

善いことをするのは気持ちが好いからではありません。必ずしも「善いこと」だけが気持ち好いとは限らないのです。むしろ、道徳に反した欲望のままの行動の方がよっぽど気持ち好かったりします。そういう行動を抑える気持ちを養うことが本当の道徳なのではないでしょうか?

お年寄りに席を譲って気持ちが好いと感じたのはなぜでしょうか? 気持ちよくなりたくて善いことをしたからでしょうか? そうではありません。辛い思いをして立っていたお年寄りを助けてあげたからです。つまり、自分が気持ちよくなりたくて善いことをしたわけではなく、お年寄りを助けるために席を譲ったのです。誰かのために何かをしてあげることができたから気持ちが好いのです。

人は一人で生きてゆくことはできません。自分は常に周りにいる誰かの支えによって生きています。そして、自分もまた他の誰かの支えになるのです。そうやって人間はお互いに支え合いながら生きているのです。生きるとはそういうことです。

その生きる意味に気づかせることのできる道徳教育であってほしいと思います。

人に助けられたら感謝し、誰かを助けることに喜びを感じる。こんなことは本当なら教えなければならないことではなく、誰もが自然に学ぶものです。でも、今の世の中はそういうことを学ぶ環境に恵まれていなかったりするかもしれません。それを補うための道徳教育であれば有意義と言えるでしょう。


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タグ:欲望 感謝 道徳
posted by アポロ at 19:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする