2016年08月12日

ワイドモニターを購入したので

本

BD で「ダイ・ハード 4.0」を観ました。面白かった!

つい先日パソコンのモニターを購入して、やっと BDBlu-ray Disc)を観れるようになりました。BD ドライブは一年前に購入したパソコンに内蔵されていたのですが、モニターが HDCP とかいうものに対応していなかったために BD を観ることができなかったんですよね。いわば宝の持ち腐れ状態でした。

今まで使っていたモニターは 19 インチで縦横比が 5 : 41280 ピクセル× 1024 ピクセル)でサイズ的には不自由は感じていなかったのですが、ちょっと古めなので HDCP に対応していませんでした。BD を観るためには HDCP の対応は必須らしいのです。

新しく買ったモニターは BenQ というメーカーの GL2460HM です。24 インチのワイドモニターで Full HD1920 ピクセル× 1080 ピクセル)の表示ができます。16 : 9 の横長の画面です。もちろん HDCP にも対応しています。

24 インチといっても画面の高さは 19 インチのモニターとほぼ同じで、解像度がわずかに高いのでほんの少しだけ文字が小さく見えます。年を取ってくると小さい文字を見るのがだんだん辛くなってくるので、モニターに表示される文字は少しでも大きい方がいいのですが、このくらいならギリギリ許容範囲です。DPI とかいじれば文字の大きさはいくらでも変えられるのですが、今はそこまでするほどではありません。

横幅は想像していた以上に広くて使用感は大きく変わりました。特に動画等を視聴するときの迫力はかなり増しています。その点はワイドモニターの最大の魅力ですね。大画面で目の前に迫ってくる感じはたまりません。映画館の感動に一歩近づいた感じです。まさにそのためのワイドモニターです。

ただ、ウェブブラウザ等は最大化して使うと横に長すぎてしまって、テキスト中心のサイトの場合は読みづらくなってしまうこともあります。ウィキペディアなんか見れたものではありません。そういう状況をみると最近はブラウザを最大化して使う人は少ないのかなというような気もしました。

ブラウザの横幅は画面の半分くらいのサイズにして使ってる人が多いのかな? でも、タブをたくさん開いたりするときは全画面の方が見やすくて便利なんだけど、それだと本文が読みづらくなる。一長一短なんだよね。パソコンで作業をするにはワイドモニターって実はそれほど合理的とは言えないと思います。

その点はこのブログ「アポロ漫録」はぬかりありませんけどね。記事が縦書きになっているので、画面が横長になればなるほど読みやすくなるという今どきのモニターの流行に最大限にマッチした先見性のあるデザインになっているのです! 合理的とはこういうことを言います。

長年このデザインでブログを書いていながら、私自身はその恩恵を全く受けていなかったわけですが。実際にワイドモニターで自分のブログを見て、思っていた以上に読みやすいということを改めて実感しました。(自画自賛ですいません。)

ちなみに、今まで使っていた 19 インチのモニターはサブモニターとして引き続き使用しています。新しく買ったワイドモニターと合わせて二画面構成(デュアルディスプレイ)になっています。

さて、せっかく BD を観れるようになったのですから、さっそく何か観てみようと思ってツタヤに行って探してみました。

ツタヤには数年前から BD のビデオがちょこちょこと棚に並び始めているなとは思っていたのですが、今ではかなりの数が置かれているようです。洋画などは割と古いものでも BD の物が置かれていて、新作はほとんど BDDVD の両方が置かれていたりします。物によっては BD のみだったりして、以前は観たくても観れないというちょっと悔しい思いもしていたのですが、今なら全てのビデオが選び放題です。

日本製の映画やドラマはまだ BD はほとんど見かけませんでした。アニメも BD はかなり少なめでした。もしかしたら日本製の作品はレンタルする場合には何か権利的な制約でもあるのでしょうか?

最初に観る BD はそこそこ観応えのあるものにしたいなと思いました。

「フロム・ダスク・ティル・ドーン」というちょっと古めの映画の BD も棚に並んでいました。これは昔、アメリカの劇場で観て面白かったので DVD でも何度か観ているお気に入りの映画の一つです。BD のクオリティを確かめるにはちょうどいい作品だと言えます。が、何度も観ているのでかえって視聴に集中できなかったりしそうでもったいないような気もします。こういうのは暇つぶしに何となく観るくらいがちょうどいい。

どうせなら初見で、そこそこ知名度のある作品がいい。画面やサウンドの迫力を十分に味わいたければやっぱり「爆発物」でしょ。エクスプロージョンですよ!

などと思いながら棚を眺めていて目についたのが「ダイ・ハード」でした。目的にはぴったりの内容だと思われます。

「ダイ・ハード」シリーズを観たのはずいぶん昔なのでよく覚えていないのですが、たしか三作目くらいまでは観たはずです。四作目は流行を取り入れて 4.0 とかいうモダンなナンバリングになっていますが、さすがにそれはまだ観たことがないはずでした。

4.0 は三作目からかなり時間が経ってから作られたと思うのですが、年老いたブルースウィルスがいくら頑張ってもアクション映画としてはもはや成立しないのではないのか? という懐疑的な思いもあってあまり観たいという気持ちがわいてこなかったんですよね。スタローンの「ロッキー」シリーズとかも回を重ねるごとに老いとの闘いみたいになってきて辛かったですよね。

ナンバリングの表記を見ても、どうせネットやコンピューターに絡めた皮肉めいた内容なんでしょ? という気がしていました。ずいぶん昔にアニメのルパン三世でもそんな内容のエピソードがありましたよね。「バイバイ・リバティー・危機一発!」というタイトルです。あれはなんだか惨めな気持ちにさせられました。アナログな人間が必死になってコンピューターと戦うみたいな……。

さらに昔のスーパーマンの「電子の要塞」は面白かったですよ。今の私がパソコンとかそういうものが好きなのは、子供のころに観たその映画の影響がかなり強いと言ってもいいくらいです。当時の SF の中のコンピューターは万能で夢がありましたね。そのコンピューターの弱点を突いて大金を得ようとしたハッカーの知恵にもあこがれたものです。

時代が進み技術が進歩すると共にコンピューターに対する希望に満ちた夢は、絶望的な悪夢へと変わってゆきます。ターミネーターでは人類滅亡のハルマゲドンとして描かれ、マトリックスでは人間は滅ぼされることはありませんがコンピューターの家畜のように扱われています。今ではインターネットを表す www は悪魔の数字 666 を意味するなんていう都市伝説さえ出てきてすっかり悪者扱いです。

ともかく最初の BD として、今回は「ダイ・ハード 4.0」を借りてきました。

画質はさすがに綺麗です。DVD でも不満はほとんど感じなかったのですが、ワイドモニターの画面いっぱいに広がる高精細なBD の映像は別次元の感動を与えてくれます。

音質は理論的には BDの方が高音質ということになっているのですが、安物のヘッドホンで聴いているので違いはそれほどはっきりとは感じられません。

とにかく映像が綺麗というのが何よりですね。これでレンタル料金は DVD と同じというのですから、BDを借りた方が断然お得です。

「ダイ・ハード 4.0」の内容も思っていたほど悪くはなくて十分に楽しめました。過去三作よりも面白いと言ってもいいくらいですね。アクションもストーリーも最高でした。ブルース・ウィルスは今回もボロボロになりながらも頑張っていました。最初のBD として「ダイ・ハード 4.0」を選んだのは大正解でした。

観終わってからふと思い出したのですが、二十年くらい前にアメリカに留学した時は頻繁に映画館に通って映画を観ていました。その時「ダイ・ハード」も観たような気がするのです。調べてみると時期的には「ダイ・ハード3」が公開されているので、たぶん私が映画館で観たのもそれだったのだと思います。現地の映画館で最初に観た映画が「ダイ・ハード3」だったかもしれません。

留学したての頃は英語もまだほとんど理解できなかったので、映画の内容もセリフからは全く理解していませんでした(当然ながら字幕などあるはずもありません)が、迫力のある映像だけでも十分に楽しめたと思います。一緒に観に行った中国人の友達がお気に入りだったようで、たびたび「ダイ・ハード」と口癖のように言っていたのを思い出しました。無茶な行動のことを「ダイ・ハードのようだ」という意味で言っていたようでした。

私としてはそんなに思い入れのある作品だとは感じていなかったのですが、実はなんとなく縁があって、無意識のうちに今回も最初のBD として「ダイ・ハード 4.0」を選んでいたのかもしれませんね。

おかげで BDを観ることが楽しみになってきました。しばらくはBD で映画を観ることにはまってしまいそうです。


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2016年07月19日

レトロゲームが好き

レトロゲームが好きなんだよね。

WizardryバイオハザードZONEファイナルファンタジー

荒っぽいドット絵や簡素なポリゴンで描画されたグラフィック、個性的なテキストで埋め尽くされた画面。今見たらあまりにも貧弱なそれらの画面には、無限ともいえる優れたゲーム性が秘められていた。

最新技術で作られた高度なゲームはもはやゲームという枠を超えてしまってるような気がして馴染めない。その世界に入り込むために知識や精神力が必要になるので疲れちゃうんだよね。息抜きをしたくてゲームをするのに、かえって疲れてしまうようでは本末転倒だ。

ゲームで遊んでいるというより、ゲームにもてあそばれているようで惨めな気分にもなってくる。

その点、レトロゲームというのはなんだか癒される。

もちろん昔のゲームだって知識や精神力、そして忍耐力も必要だし、むしろ今どきのゲームより複雑で遊ぶためのスキルは今以上に必要だったかもしれない。最近の人から見たらレトロゲームは「難しい」と思う人の方が多いかもしれない。

でもね、一番の違いは、昔のゲームは「遊んでる」っていう感覚があったってところじゃないかな。ゲームはあくまで玩具であって、自分で好きなように遊ぶことができた。その世界に没頭し、自分でイメージを無限に膨らませて楽しむことができた。その余地があったわけ。その「余地」で遊ぶことこそが何より楽しいわけで、癒しでもあったはずなんだよね。心が救われた気分になって元気になれる。そしてまた現実に戻って勉強や仕事も頑張れたわけ。

ところが今どきのゲームはどうだい?

完璧に作りこまれた美しいグラフィックとロジックによって、人々は仮想のもう一つの世界を体験することができるほどにまでなった。プレイヤーはその中で役割を与えられ、それを成し遂げるために必死になって努力をする。自分のルールや世界観を創造して楽しむ余地など一切与えられていない。そんなことをすれば「チート」と呼ばれて犯罪者扱いされ、場合によってはその世界から追放(BAN)されて二度と遊べなくなる。

なんだか、まるで強制労働でもさせられているような、あるいは奴隷として扱われているような、逃げ場のない絶望的な閉塞感に満ちた世界だ。癒しを求めて現実逃避をしたくてゲームをするのに、そのゲームが現実以上にシビアな法律や人間関係でがんじがらめに拘束された息苦しい世界になってしまっている。

剣の8

そこでは完全に人間が機械(コンピューター)に支配されてしまっているのだ。

あまりにも自然に慣らされてしまって気づいていない人も多いかもしれないけど、それってかつては近未来の恐怖として描かれていた映画「ターミネーター」や「マトリックス」のような SF の世界がすでに実現してしまっているってことなんだよね。人々は知らず知らずのうちに魂を吸い取られ、機械の中に閉じ込められてしまっているのだ。

仮想の世界の話だからと真剣に考えないかもしれないけど、実は現実世界の一部をすでにその仮想世界によって浸食され始めている。それが「遊び」と呼べるような人生の「余地」であるうちは良かったのだが、今どきのゲームはまるで「労働」のようであり、そこが人生の中心メインステージとなってしまっているような人たちもいる。

それは決して他人事ではないのだ。

私が最新のゲームに馴染めない理由はそんなところだと思う。

四十歳を過ぎたオッサンが、単なる懐古趣味でレトロゲームが好きだと言っているわけではないと言いたい。空き地で遊ぶ子供たちのように、心が癒され、人生を豊かにしてくれるような楽しいゲームで遊びたい。

開発が進んで空き地がなくなってしまった都会には「近代的な遊び場」は沢山あっても、息苦しさや虚しさばかりを感じてしまうのではないだろうか。


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2016年07月03日

その時その人はこの世にはいないかもしれない

戦車

誰かのために何かをしてあげたいと思っているのなら、今すぐ行動しましょう。

いつでもいいと、そう思っているうちに、その日は永遠に来なくなってしまうかもしれません。その時その人は、もうこの世にはいないのかもしれないのです。

棒の8

人はある日突然死んでしまいます。いつ死ぬかなんてことは、誰にもわかりません。そして、人は必ず死にます。

だから、その人のために今できることがあるのなら、今すぐすべきなのです。

何かしたいと、そう思った時に相手が死んでしまっていたら、もう何もしてあげられないのですから。

死神


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2016年06月01日

「間」を含めたプロセスをじっくりと味わう

本

占い好きな人はあちこちの電話占い等を何度も利用していたりするのかもしれませんが、そういう慣れている人ほど効率重視でせっかちになっていたりしませんか。

私のタロット占いも音声通話占いやチャット占いでは時間単位の料金設定になっているので、少しでも無駄な時間を省いて短時間で効率的に終わらせたいと思う人もいるでしょう。

例えば、私が何か質問したりすると考えるためにしばらく無言になってしまったりしますが、そういう時間も料金のうちと思ってしまうと落ち着いて考えることもできなくなってしまうでしょう。

本筋から離れた雑談をするのももったいないし、占い師が霊感や直感を働かせようと集中して黙っている時間も長いと感じてしまうかもしれません。

占いが単なるビジネス、あるいは飲食店のような接客業やサービス業と同じだと考えると、客の注文に応えて占いという商品を迅速に提供することが理想だということになるかもしれません。

でもね、私はそうは思っていません。

確かにお金をもらって占いをしている以上は「商売」という側面があるのも確かですが、占いというのはちょっと違うと思うのです。占いは商売である以前に、あくまで「占い」だと思うのです。

占いとは「エンターテインメント」だと考えるとわかりやすいと思います。大道芸やサーカスや舞台演劇のようなものですね。

単に占い結果だけを伝えればよいというビジネスだとしたら、それを舞台演劇に例えると、お客さんに台本だけ渡してそれを読ませるようなものです。演劇を見に来た客は誰一人として、それでは満足できるはずもありません。そんなことのためにお客さんはお金を払って舞台を見に来ているわけではありませんよね。そこで演じる役者や舞台装置、照明、衣装や大道具や小道具などのすべて、そして、そこで共有する一時間か二時間のほんのひと時の夢のような時間そのものに対して、対価としてのお金を払っているわけです。

占いも同じです。相談者の話を聴き、タロットカードを切り混ぜ、カードを並べ、一枚一枚の絵柄に見入りながら相談者と一緒に考え、意味を読み取り、結論を導き出す。そのプロセス全てに意味があるわけです。考えたり雑談をしたりする時間もまた占いの一部です。

質問の答えを考えたり、カードを見つめて瞑想したりするような時間は無駄に思えてしまうかもしれませんが、そのような何もないと思えるような「」こそが最も重要な時間でもあります。役者や芸人さんも「間」を大切にするでしょう。それがないと全てがつまらないものになってしまいます。

ずいぶん前に「間 ‐ space」という記事を書いたことがありますが(日付を見ると今から十年も前の記事ですね!)瞬時にあらゆる情報が伝わるようになってしまった今の時代ではつい忘れがちなことだと思います。

なんでも効率的・合理的に事を済ませばよいというものではありません。非効率的・非合理的な部分に生まれる「ゆとり」のある生活にこそ意味があり、そういう生き方にこそ幸福を感じられるのではないでしょうか。

占いではせっかちに結果ばかりを求めず、「」を含めたそのプロセスをじっくりと味わっていただければと思います。


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2016年04月24日

プレゼントの選び方

ダイヤ

年下に贈る物は形の残る物にしなさい。

あなたが死んだ後でも、彼らはそれを見てあなたを思い出せるから。

形に残らない記憶はいずれ忘れ去られてしまうだけ。

ハート

年上に贈る物は形に残らない物にしなさい。

彼らが死ぬときには、何一つ持って逝くことができない。

思い出だけがあの世への手土産となるのだから。


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posted by アポロ at 18:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | ハミング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする