2018年01月22日

人間関係は一方通行でもよいのですよ

本

人間関係は一方通行でもよいのですよ。

見返りを求めるから辛くなるのです。

「今日一日、人のために生きることができた」と思えるだけで幸せではありませんか。

そういう生き方ができる人は、明日死んでも後悔はしないでしょう。


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posted by アポロ at 17:27 | Comment(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年01月09日

その年のタロットカードの活用法

今年はテレビ番組の「めちゃイケ」とか「みなおか」が終了するとかで、めちゃイケなんかは「シュウ活」と称して終了までの番組を盛り上げようと頑張ったりしてますね。そういうのを見ていると、今年のタロットカード「]V 死神」の運命なのかと思う人もいるかもしれません。死神のカードは今まで続いてきたものの終わりを意味したりしますからね。

本

毎年新年を迎える頃にはその年の干支に対応するタロットカードの記事を上げてますが、あえてそのカードの意味などの具体的な解説はしていませんでした。占い師の私が言うのもなんですが、その一枚のカードで一年が決まってしまうわけではないので、あまり強くイメージしすぎないよう、ふわっと軽く紹介する程度にとどめていたわけです。

それでもせっかく一枚のカードが示されているわけですから、それを活用する方法を考えてみるのもいいかもしれません。

このような形で一年のカードが示されたとき、おみくじや普通の占いと同じような感覚でその一年間に起こることを予知するような目的で解釈してもあまり意味はないと思います。もちろん何らかの予知は可能かもしれませんが、一年は365日間もあるわけですから、その間には何かしら一枚のタロットカードに当てはまるような出来事が起きるのは当然と言えます。もちろん、全世界には何十億という人がいるわけですから、カードに当てはまる何らかの出来事は必ず起きます。そんな何かしらの出来事を予知したところで「だから何?」としか言いようがないと思います。

死神のカードが出ているから「めちゃイケ」が終わるわけではないのです。しかし、「めちゃイケ」が終わることに死神のカードを関連付けて記憶にとどめることはできます。いつか死神のカードを見た時に、そういえばあの時あんなことがあったなぁと思いだすことができるでしょう。

予知ではなく、実際に起きたことを意識にとどめるための鍵としてタロットカードを用いるわけです。これも一年のカードの活用法の一つと言えるでしょう。一年の終わりにその年のタロットカードを見ながら振り返ってみるといいでしょう。

一年の始まりにカードを見る時には、まだこれから何が起こるかわからないわけですから、その時点で関連付ける出来事はありません。この時期には、一年の目標を立てたりするためのヒントとして用いるといいでしょう。「戌年だから……」といってもそれで目標となるものをイメージするのは難しいかもしれませんが、「死神だから……」と言えばイメージしやすいかもしれません。

例えば、何年も禁煙できずにタバコを吸い続けていた人なら今年は禁煙する良い機会だと考えるのもいいでしょう。住み慣れた土地を離れて引っ越しすることを考えてみたり、留学してみたり、転職してみたり、環境を変えて気持ちを切り替えるにはいい機会かもしれません。

そんな感じでその年のカードをイメージして行動を起こすきっかけを作ったりするのです。

つまり、予知ではなく、行動を起こすきっかけとして活用するわけです。一年の始まりに無理して考える必要はありません。その一年間、そのカードをイメージして行動しているうちに自然と活用できるようになるでしょう。

選択に迷ったり、躓いたりしたときに、その年のカードを思い出してみてください。きっといいヒントを得られると思いますよ。


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posted by アポロ at 23:14 | Comment(0) | 占い講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年12月31日

戌年のタロットカードは「XIII 死神」

タロットカード: 死神

2018年の干支(十二支)は戌年いぬどしですが、対応するタロットカードは「]V 死神」になります。詳しくは「十二支とタロットカード(タロット占い講座)」をご覧ください。

個人ごとの一年のタロットカード(イヤーカード)は「ライフタイム・イヤーカード・グラフ(タロット占い講座)」を参考に自分で調べてみてください。一年の目標を立てたりするヒントにしてみるといいと思います。


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posted by アポロ at 21:13 | Comment(0) | 占い講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年10月27日

報われない努力もある

本

努力」という言葉が物議を醸すことがたびたびあります。最近はこの言葉にネガティブな印象を持つ人の方が多いみたいですね。

「努力は報われる」とは昔はよく言われていたものですが、今では「努力しても報われない」と考える方が常識になってきているかもしれません。

三十年くらい前、まだ私が小学生や中学生の頃は「努力」は誰もが認める美徳でした。習字で書く言葉の定番でしたね。努力すれば褒められるし、努力した者が正しいとずっと教えられてきました。私もそう信じていました。まあ、頭でわかっていても実行することはなかなかできなかったわけですが……

二十五年ほど前、確かあれはフェリーの中で観た洋画……当時私は自衛官で、自衛隊の駅伝部みたいなものに所属していて一応実業団の選手という感じで毎日長距離走の訓練をしていました。その合宿でフェリーに乗って北海道に移動したりすることがたびたびあったのです。その時船内で流していたビデオだったと思います。たぶんロビンフッドとかそんな感じの映画でしたが、その中の戦いのシーンで、ある人物が仲間に言った言葉が印象的でした。

「報われない努力もある。」

頑張っても勝てないいくさもある。でも戦うんだみたいなことを言っていたのでしょう。たとえ負け戦でも最後まであきらめず努力するということです。

当時の私は駅伝の選手になるために死にものぐるいで合宿のメンバーと競い合っていました。フェリーの移動中ですら狭い船上で何時間も走ってトレーニングを続けたほどです。そんなさなかに観た映画のセリフでした。

いくら頑張っても勝てそうにない全国レベルのライバルたちの中で折れそうになっていた私の気持ちを、そのセリフが支えてくれたような気がします。勝てないかもしれない。でも、最後まであきらめずに頑張ってみようと。

私は他のメンバーよりも少しでも多くの時間、少しでも多くの距離を走ることで、その努力はいつか報われると信じて必死になってトレーニングをしました。練習量だけなら他の誰にも負けていませんでした。でも、結局私は最後の大きな駅伝の大会の選手には選ばれませんでした。努力は報われなかったのです。

現実に認められるのは努力ではなく、どれだけ速く走れるかという結果だけです。たくさん努力しただけの人を選手にしたって試合には勝てません。それが現実なんですよね。

努力しなくても生まれつき身体能力に恵まれていて足の速い人もいます。そういう人には努力は無用かもしれません。でも、そんな天才に勝つためには、我々凡人は死ぬ気で努力する必要があります。頑張れば勝てるかもしれません。でも、勝てないかもしれない。でも、勝つためには努力するしかないんです。

だから、努力は必要なんです。

報われるかどうかわからないけど努力することに意味がある。

だから努力は美徳なのでしょう。


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posted by アポロ at 23:08 | Comment(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2017年08月09日

真夏の夜のお月見は寒かった

タロットカード: ][ 月

昨夜は真夜中(というか早朝三時ごろ)に外に出てみると、空が晴れ上がっていて綺麗な満月が出ていました。星も輝いています。

昼間は曇りで雨が降ったりもしていたので月見は無理かと思っていたのですが、予想外に晴れてました。

久々にお月見ができると思ってさっそく夜のお散歩に出かけたのですが、昼間と同じ感覚でノースリーブのシャツ一枚と短パンで出てきたらめちゃくちゃ寒かった。

こんなに寒いとは、これもまた予想外。

数日前に夜中に出かけた時は夜でも暖かいもんだと意外に感じていたのに、今度は寒すぎるんです。

夏の夜は不可解です。

歩いているうちに体も温まってくるかと思ったのですが、ほとんど最後までずっと寒いままでした。

散歩のお供は音楽。スマホで聴きます。

曲はベートーヴェンの「月光」。月見散歩の定番です。

レベッカの「MOON」もいいんですけどね。お化けの声が聞こえるということで昔話題になったアレです。

すぐに流れ星が一つ落ちてゆくのが見えました。明るくて大きめで、短めの流れ星。

もっと見れたらいいなと思ったのですが、そう思って空ばかり見上げているのも疲れるので、無理に探そうとはしませんでした。

流れ星って、見ようと思う時には見れなかったりするんですよね。

月を見上げると、晴れた空にギラギラと言っていいほどまぶしく輝いていました。

月ってこんなに明るかったっけ?と思うほど、異常に輝いて見えました。

空が澄んでいたからなのか、夏だからなのかよくわかりませんが。

長時間凝視するのは無理でした。

お月見と言っても、ずっと月を見ていなければならないというわけでもありません。

月の光のシャワーをノースリーブの露出した肩や腕や脛に浴びながら散歩をします。

昼間の太陽のように月の光も肌で熱を感じるものかと意識を集中して全身で月光を浴びてみましたが、さすがに熱は感じませんでした。

やっぱり寒かった。真夏の月の光は不思議です。

月見というのは、そこにお月さんを感じることができればそれでいいんです。

空を見上げなくても、むしろ月光に照らされ明るくなった一面の風景で味わうものです。

月見だからって、月ばかり見なくていい……そういう感じ方は大事だと思います。


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タグ:月見 満月 散歩
posted by アポロ at 17:13 | Comment(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする