2018年06月14日

占いよりも常識が大事という話

2018年2月20日のライブ配信でお話しした内容より

占いを活用して悩みを解決しようとするときの方法論の一つです。

まずは、相談内容の実例から。

相談内容: 高校時代の友達グループに十年ぶりくらいに会う予定。そのうちの一人とは気まずい別れ方をしていたので再会するのが怖い。その友達は今どんな気持ちでいるかを知りたい。

占い結果: 一枚占い(ワンオラクル)で占いました。

めくられたタロットカードは「ペンタクルスの8」でした。

タロットカード: ペンタクルスの8

解釈① … その友達は自分の目の前にあることに向き合っているので十年前のことなど考えていない。

解釈② … 心の中に引っかかっているものを取り除いてすっきりしたい、修復したいと思っている。

二つの解釈が導き出されています。それらは矛盾しているようにも見えますが、同じカードから導き出される結果です。どちらかが間違っているのでしょうか?

解釈①は常識的な考え方です。悩んでいるときには気づきにくいことですが、平常時であれば誰でも普通に考えることです。友達に相談したらこんな答えが返ってきそうです。当たり前すぎて占いっぽい解答ではありませんね。占い師にこんなことを言われたらつまらないでしょう。

それに対して解釈②は占い的な考え方ということになるでしょう。相談者としてもこういう解答を求めていることが多いと思います。何となく説得力もあります。

では、占いでは解釈①など不要で、最初から解釈②だけで十分ということでしょうか。実際、多くの占い師がそういうアプローチの仕方でアドバイスをしていると思います。その方がわかりやすいし評判も良くなるでしょう。

しかし、私は解釈①も必要な解答だと思っています。常識的なことは意味がないというわけではなく、常識的なことだからこそ大事なのです。

通常、問題を解決しようとするときには、解決すべき問題点は何かを明確にする必要があります。例えば、医者が病気の原因を探ろうとして患者の血液や肉体組織の一部を採取して、それを顕微鏡で覗き込んで病原菌や寄生虫や腫瘍などを見つけ出すことで適切な治療を施すように。

悩みごとの場合も同じような考え方で、それを解決しようと思うと医者が聴診器を当てたり顕微鏡で覗いたりするように、問題を細かく分析してその原因を探ることに必死になったり、悩みそのものを切除するような西洋医学的なアプローチをしがちです。

それで解決できることも多いでしょうし、悩み相談を受ける人たち(素人・専門家問わず)のアドバイスもたいていはそんな感じのアプローチのものが多いのではないでしょうか。論理的で実用的な解決方法と言ってもいいでしょう。

しかし、それはとても危険なことでもあるのです。患部のみを見て対処をしようとすると、それ以外の場所に問題があったとしても気づくことができなくなってしまいます。場合によっては全く不適切な処置をしてしまう可能性もあるのです。その結果、悩みを解決できないばかりか、ますます悪化させてしまうこともあるでしょう。

通常、悩んでいるときには視野が狭くなりがちです。辛いと感じるその部分だけに意識が集中して、そのことしか考えられなくなってしまうのです。平常時であれば簡単に解決できるような問題でも、絶対に解けない難問にぶつかったような絶望感に打ちひしがれていたりします。そんな時に患者(相談者)の訴えに応じて顕微鏡や聴診器を使って悩みそのものにさらに意識を集中させてしまうと、ますます視野を狭めてしまうことになってしまいます。それでは悩みはさらに深まるばかりです。

そんな時には、まずは聴診器を外し、顕微鏡から目を離し、頭を上げて目線を高くし、周囲を見渡し視野を広げることが大切です。いったん周囲を見渡し、視野を無限に広げてみるのです。どこに山があって、川があって、森があるのか。そして、その中のどこに自分がいるのか。そういう考え方をすることで、そこに居る自分がどういう振る舞いをすべきかが見えてくるでしょう。それが「常識的な解釈」となるわけです。

いったん視野を広げて問題点を探り当て、絞り込むことができたら、そこから先は占いという道具を使います。いわば占いとは医者が用いる聴診器や顕微鏡のようなものです。それだけに頼ってしまうと誤って悩みをさらに深めてしまう危険性がありますが、きちんと常識的な考え方や物の見方ができていれば正しい処置をすることができます。占いが生きてくるのは、常識という前提があればこそなのです。

まず最初に常識的な考え方で思考をもみほぐし、その後で問題の焦点を絞り込んで占い的な解釈をすると的確な解答を導き出せるようになるでしょう。

自分一人で悩んでいるとこういうことは難しいと思いますが、だからこそ、周りの人に相談したり占い師に占ってもらったりすることはとても有効な手段となります。また、相談された方(占い師)も親身になりすぎて悩み解決に必死になりすぎたりせず、一歩引いた位置から見てあげることが大切です。

一人で思いつめず、誰かに話してみてください。ほんの些細な一言でも、きっとあなたの助けとなるでしょう。


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posted by アポロ at 21:37 | Comment(0) | 占い講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年06月13日

蜂に刺された

本

自転車に乗って出かけようとハンドルを握ったら、チクッと人差し指の付け根に痛みを感じて手を振り払った。その時ほんの一瞬、手元から小さな黒い虫が飛び去るのが見えた。はっきり見えなかったので正体は不明だが、たぶん蜂だったのだと思う。ハンドルのグリップと同じ色をしていて気づかなかったのです。

蜂に刺されたようでした。何か応急処置をしないとまずいかなと思ったのですが、せっかくのいい天気。お出かけしたいという気持ちが勝ってそのまま自転車に乗って出かけてしまいました。

痛みがひどくなってくるかなと心配でしたが、意外にも大したことはなく、少しずつ痛みは引いてゆき、刺された痕もほんの直径五ミリ程度の腫れがしばらくの間出た程度で、痛みが消えるとともに痕も消え去ってしまいました。

写真に撮ってネタにしようかとも思ってたのですが……蜂に刺されて腫れあがった手なんて、いかにもインスタ映えしそうじゃないですか。

実は蜂に刺されたことはほとんどなくて、子供のころ以来、三十年以上前にあったかどうかという程度の記憶です。それでも全く経験がないというわけでもないので、蜂に刺されたら死ぬほど痛いという何となくのイメージは持っていました。子供のころはそう感じたのでしょう。ところが、実際にはそうでもなかったようです。

この際、蜂に刺されるとはどういうことなのかをじっくりと味わってみようと思って患部を意識していたのですが、味わうまでもなく消えてしまいました。毒性はそれほど強くはなかったみたいですね。蜂の甘噛みって感じでしょうか。

この程度ならもしかしたら今まで何度も蜂に刺されていたかもしれません。刺されても気づかないうちに治っていたとしても不思議ではありません。そのくらい軽いものでした。

刺された瞬間は電子ライターのカチッとするやつで感電した時のような痛みが一瞬走り、それ以上ひどくなることはなく徐々に薄れていく感じでした。

おそらく蜂の毒にもいろいろ種類があるでしょうから、どんな蜂に刺されても大丈夫とは思いませんけどね。今回はたまたまです。

ところで、今朝はちょっと悲しい出来事があったのです。

話はもう少しさかのぼって一昨日の夜。

それまでツイッターなどでゲジゲジは益虫だなんてことをつぶやいていましたが、そう言いつつもここしばらくは私の部屋の中で見てないなとも思っていました。見かけないとちょっと寂しいものです。

そんな私の思いが通じたのか、寝ようと思ってベッドに入ろうとしたら、枕元にゲジゲジがじっとしているのを見つけました。もう、完全に「私はここにいますよ」とアピールしてる感じです。嬉しくて感激してしまいました。

とはいえ、さすがに枕元にじっとしていられるのも気持ち悪いとは思いましたが、せっかく出てきてくれたのでしばらくその様子を観察していました。体長八センチくらい(ひげも合わせると十五センチくらいにはなるかな)のほぼ最大級と思われる巨大で立派なゲジゲジです。放射状に広げられた無数の足はまるでクジャクの羽のようでもあり、とても美しく、神々しくさえ見えました。後光が差した観音様のようにも感じられました。

いくら眺めていてもピクリとも動かなかったのですが、私がちょっと目を離した一瞬の隙にどこかへ姿をくらませてしまいました。

虫にも動物みたいな感情があるのでしょうかねぇ。人間と目が合っているうちは動けなくて、目をそらした瞬間に動き出すなんてね。蛇や猫みたいです。

我が家のゲジゲジも元気にやってるようだし安心だと思っていたのですが、今朝になって、そのゲジゲジの水死体を発見してしまいました。

昨夜からキッチンの水場に放置してあったボールに満たされた水の中に落ちていたのです。どうやったらこんなところに落ちて死ぬのか不思議なくらいでしたが、なぜかそこで死んでいたのです。

いつもなら寝る前に洗い物は全部片づけておくのですが、昨夜はたまたまめんどくさくて放置してしまったのです。本当にたまたまでめったにないことなのです。でも、そのたまたまの時に限って、なぜかそこに落ちて死ぬなんて……。

私のせいだと思うととても悔しくなりました。ちゃんと洗い物を済ませて寝ていればこんなことにならなかったのに!

死んだゲジゲジは庭に投げて供養しました。たぶん蟻んこやバクテリアなどが分解して土に戻してくれると思います。

合掌して「ごめんなさい」と謝っておきました。

でも、なんだか不思議です。死ぬ直前にわざわざ私の目の前に出てきて挨拶を済ませた後で、わざと入水自殺でもしたかのようです。あんなところにうまい具合にボールの中に落ちて死ぬなんてあまりに不自然だとも思いました。中に人の魂でも入ってたのかと思うくらいです。

そもそも水に落ちたくらいで簡単に死ぬものでしょうか? 多少は浮きそうなものだし、あの無数の足でバタバタともがいたりしてボールのふちにたどり着ければ生き延びれたとは思うのですが。

もしかして、寿命だったのかな。それを悟って、死ぬ前に別れの挨拶を?

それとも……やっぱりあれは、観音様だったのかもしれません。いや、もしかして彼女かも……。何かを伝えに私のところまで来ていたのでしょうか。

それに気づかせるための、蜂の一刺しだったのかも? チクリと刺して、「気づけよ」と言っているような、そんな風にも感じてしまいました。ピザの耳のことなんか書くなよ〜」みたいな。彼女ならやりそうです。


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posted by アポロ at 18:17 | Comment(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年06月08日

月明かりのない夜の散歩

本

真っ暗闇の夜の田んぼ道をお散歩。今日は半月のはずですが、深夜には隠れてしまって見えませんでした。

月明かりのない夜道は闇に溶け込み、真っ黒に染まって全く見えません。両脇の水田がぼんやりと白く浮かび上がっています。田んぼ道なので通り道には街灯などはありません。数百メートル先にぽつぽつと見える街灯の光がまぶしく見えるくらいです。

水田には植えられたばかりの小さな苗が並んでいるのが見えます。その隙間の水面を見ると、光の点がぽつぽつと見えます。夜空の星の光が映り込んでいるのです。

小さな星の光でも水面に反射して見えるんだな……不思議な感覚でした。

たまに夜中に散歩に出かけるときはたいてい月が明るく輝いているときだったので、こんな風に星が水面に映りこむことがあるなんて気づきませんでした。珍しいことでもないのかもしれませんが、月のない暗い夜だからこそ気づけたのだと思います。

夜道も照らせないような小さな星の光でも、水面に反射して私の目に届いている。ふだん直接夜空を仰いで見る星とはまた違ったものに見えました。その光は数億光年、数十億光年先にある、数億年前、数十億年前の輝き。そんな光がほんの数メートル先の水面に物理的に反射して私の目に飛び込んでくるなんて、何とも不思議な感覚です。時空を超えた途方もない奇跡的な現象が、日常の物理的な現象として感じられるような、そんな感覚。

そよ風すら感じられない完全に無風の夜。梅雨入り前ですが、少し蒸し暑く感じました。蛙の鳴き声だけが静かに響いています。

しばらくすると、闇に目が慣れてアスファルトの道のわだちが白く浮かび上がってきました。月が照らさなくても見えるようになるものなのですね。光源はきっと、あの数十億光年先から届く星々の光なのでしょう。

この世界に、完全なる闇などないのです。

帰り道。目の前を大きな流れ星が太い筋を引きながらゆっくりと落ちていくのが見えました。


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posted by アポロ at 01:48 | Comment(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年03月16日

ヨーグルトココアの作り方

本

ココアとヨーグルトを混ぜて飲んでみようなんて誰が思いつくだろうか?

冷蔵庫にヨーグルトが一つあった。ダノンのプレーン・加糖。

ヨーグルトを冷たいまま食べると体を冷やしてしまう。今の時期はできるだけ避けたい。

以前、ヨーグルトを鍋で加熱してみたことがあるが、不思議なことにほとんど透明の液体になってしまった。実は市販のヨーグルトの大半は薄めた牛乳を寒天で固めたヨーグルト風のゼリーみたいなものなのだ。濃厚だと思っていたのは寒天によるもので、加熱すると寒天は溶けて極薄の乳製品の正体が露呈する。詐欺みたいなものだ。

まるで乳清を加熱したような半透明の液体はそのままでは不味くてとても飲めない。

不味さの理由は酸味にもある。熱した牛乳に酢を混ぜたようなものだと思ってみればいい。想像しただけで不味そうである。加糖されているとはいえ、加熱すると酸味が増してしまうのだ。

体を温めるにはホットココアがいい。いつもは森永のピュアココアをインスタントコーヒーのようにお湯で溶いただけのものを飲んでいたのだが、もちろん甘みもなければコクや旨味もあまりない。鍋で加熱すれば香りも立つのだろうけど、カップの中で溶くだけでは香りも立たない。

そこでひらめいた。

たまにはココアを鍋で加熱するついでに砂糖とミルクの代わりにヨーグルトを入れてみてはどうだろうか?

問題は酸味だが、こちらには「策」があった。

さっそく試してみる。まずはココアを少量の水で溶いてからお湯を加えて鍋に入れる。そこにヨーグルトを一カップ(85g)入れてかき混ぜて弱火で過熱を始める。

沸騰する前に酸味対策の「魔法の粉」を小さじ半分くらい振りかける。すると、シュワシュワ〜っと泡が立つ。しばらくすると泡が鍋いっぱいに膨らんであふれそうになるのでいったん止めて様子を見てから再び過熱。沸騰するかしないかというくらいのところで火を止めてマグカップに移した。

恐る恐る飲んでみると、予想以上に美味であった。まろやかでコクがあり、程よい甘さもある。ココアのいい香りもする。不快な香りや酸味は一切なかった。

大成功である。

さて、酸味対策の例の魔法の粉であるが、実は重曹である。炭酸水素ナトリウムね。

重曹はアルカリ性なのでヨーグルトの酸味を中和する働きがある。ただし、独特の匂いや苦味が出る可能性があり、普通なら不味くなる。美味しくなるかどうかは賭けであった。

重曹の匂いはココアの香りで消され、コクと苦味は旨味に変わったようであった。酸味はほぼ完全に打ち消され、砂糖の甘味だけが残ったことになる。

体も温まり、美味しく飲めた。大満足である。


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posted by アポロ at 22:33 | Comment(0) | 漫録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
2018年03月02日

本物の作家になれますか?

本

将来作家になりたいと思うのであれば、どんなことがあっても諦めずに書き続けることです。

占いで「運が悪い」とか「適性がない」などと言われたとしても、あるいは、自分の作品が世間に全く評価されなかったとしても、それでも書き続けることができた人だけが本物の作家となれます。

本物の作家とは、運や実力がなくても自分を信じて常に書き続けた人のことです。

運命や運勢が人生を決めるわけではありません。

世間の評価が自分の生き方を決めるわけでもありません。

運命は自分で切り開き、生き方は自分で決める。

それを世間に認めさせることができた人のことを作家というのです。

自分が生きているうちは認められなくとも、死後何十年、何百年経ってから認められる人もいます。

それが作家というものです。

今ここでペンを止めてしまうような人は作家にはなれないでしょう。

あなたは、本物の作家になれますか?

ここでは「作家」という表現をしていますが、あなたが目指している職業や人物像がどのようなものであっても同じように当てはめることができます。自分がなりたいものに置き換えて考えてみてください。


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posted by アポロ at 18:38 | Comment(0) | スピリチュアル | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする